ピーター・ウィアーへの思い
2003年4月15日今日もまたまた映画の話。
(すみません、しばらくこの傾向は続くかと…)
以前、他の場所でちょろっと語ったし、「すちゃらか!」でも何度か取り上げたんだけど…私はオーストラリアのピーター・ウィアーという監督がとにかく大好き。彼の作品はもちろん、その演出、考え方、映画に対する情熱…などなど、いつも惚れ惚れしてしまう。もし私が女優だったら、ぜひ彼の演出を受けたいと思う筆頭の監督だったりする。
彼は…刑事もの(「刑事ジョン・ブック」)だろうと、青春もの(「いまを生きる」)だろうと、不思議系(「ピクニックatハンギングロック」)だろうと、戦争・青春もの(「誓い」)だろうと、ドラマ(「フィアレス」)だろうと、社会派コメディ(「トゥルーマン・ショー」)だろうと、かならず作品に誰にもマネできない彼独特のヒューマニズムが存在していて、それは映画を観ていれば自然に分かってくるよう親切に描写はされておらず(つまり、観る側にはとても不親切だったりする)、観る側に「どう?あなたはわかった?」と訊いてくるような作品を作る監督。
静かなるクライマックスには、とにかく誰もがスクリーンに集中「させられ」ちゃうのに、ラストシーンで感動するか、不条理を感じるか、ヒヤリとさせられるか、置いてけぼりを食らうかは――観る人次第で実に両極端(だから彼の作品のネタバレレビューがなかなかできない)。「いまを生きる」「誓い」は比較的わかりやすかったけど、いざ感想を云おうとしても…これがなかなか上手く云えない。どんなに感動、またはガッカリさせられても――その思いを完璧に表現できない自分を痛感させられてしまう(…って、私だけ〜??)。
そして、セリフで説明するような演出を好む監督ではないので、そのぶん観る側の感覚が研ぎ澄まされるよう、映像や音楽がとても美しいのが特徴。とくに彼と同郷のジョン・シールが撮影した作品の美しさには感動する(ああ〜…またコンビ組んでくれないかニャ〜…)。演技のヘタな俳優がほとんどいない…ってのも特徴。あの演出を考えれば、ヘタな役者じゃ絶対ムリだってことか(あのベニシオ・デル・トロやメル・ギブソンが若い頃、彼の映画に出てる)。
観る側にとってはけっこうハードな(云い方を変えると「ひねくれた」)作品が多いけど、私は彼の作品が(あんまり面白くないものも含めて)とても好き。彼の静かなる情熱がいつも感じられるから(ご本人は知的でとても穏やかな人だそう)。
それがよく表れていたのが「トゥルーマン・ショー」で来日したときの彼の発言。
「ハリウッドは観客は知性がないと決めつけて、説明過多な作品ばかり作ってる。でも私はそうは思わない。だからあえてこういう独自なやり方で、観客の知性に訴えたいんだ」
↓「ピーター・ウィアー監督インタビュー」
http://www.sankei.co.jp/mov/int/98/1027peter_weir.html
(写真見ると、けっこう素敵なおじさんだと思うんだけど…)
「自分の映画のメッセージなんてものを語るのはきらいだが、あえていうなら、目覚めよ!か。私は、自分の意思で行動しようといいたいのだ。『いまを生きる』も同様のテーマだった」
私はいつもそれを…あなたの作品で感じることができます…うううう…>ウィアー監督
でも残念ながら(けっして難解ではないんだけど)こういう作風とシリアスで全体的に地味なのが災いしてか、オスカーに何度もノミネートされるほど評価は高いのに、ヒット作はとても少ない…。
そして実は今年、待ちに待ったウィアーの新作で大作「マスター&コマンダー」(ラッシー主演)が公開されるんだけど…これ…大丈夫かニャ〜??…題材が題材なだけに、ものすご〜〜く心配。コケなきゃいいけど…。ウィアー自身も「観客を再びこのジャンル引きこむという、やっかいな仕事のことを考えると落ちこむんです」とまで云ってるし…。むむむむむむ…。
ちなみにラッシーは最初、主演のオファーを断ったそう(過去大コケしている題材だけにその気持ちはわかる)。でも「この12月にこの映画を正式に断った後、『おれは一体何してるんだ?』って考えて夜眠れなくなった。ピーター・ウィアーと仕事をするチャンスをふいにするなんて。ずっと夢見ていたことなのに」(NYタイムズより)…ということで、やっぱり主演を引き受けたそう。むむむむ…。
う〜ん…今日はウィアーについて語ってみたけど、やっぱり長くなっちゃった。私は彼が大好きだけど、「オススメ!」となかなか人に云えない。この気持ち…どんぐり仲間のみっちゃんならわかって下さるかも…。
あ〜…私がもし映画ライターなら…ウィアーにインタビューしてみたいニャ〜…。
では、また♪
(すみません、しばらくこの傾向は続くかと…)
以前、他の場所でちょろっと語ったし、「すちゃらか!」でも何度か取り上げたんだけど…私はオーストラリアのピーター・ウィアーという監督がとにかく大好き。彼の作品はもちろん、その演出、考え方、映画に対する情熱…などなど、いつも惚れ惚れしてしまう。もし私が女優だったら、ぜひ彼の演出を受けたいと思う筆頭の監督だったりする。
彼は…刑事もの(「刑事ジョン・ブック」)だろうと、青春もの(「いまを生きる」)だろうと、不思議系(「ピクニックatハンギングロック」)だろうと、戦争・青春もの(「誓い」)だろうと、ドラマ(「フィアレス」)だろうと、社会派コメディ(「トゥルーマン・ショー」)だろうと、かならず作品に誰にもマネできない彼独特のヒューマニズムが存在していて、それは映画を観ていれば自然に分かってくるよう親切に描写はされておらず(つまり、観る側にはとても不親切だったりする)、観る側に「どう?あなたはわかった?」と訊いてくるような作品を作る監督。
静かなるクライマックスには、とにかく誰もがスクリーンに集中「させられ」ちゃうのに、ラストシーンで感動するか、不条理を感じるか、ヒヤリとさせられるか、置いてけぼりを食らうかは――観る人次第で実に両極端(だから彼の作品のネタバレレビューがなかなかできない)。「いまを生きる」「誓い」は比較的わかりやすかったけど、いざ感想を云おうとしても…これがなかなか上手く云えない。どんなに感動、またはガッカリさせられても――その思いを完璧に表現できない自分を痛感させられてしまう(…って、私だけ〜??)。
そして、セリフで説明するような演出を好む監督ではないので、そのぶん観る側の感覚が研ぎ澄まされるよう、映像や音楽がとても美しいのが特徴。とくに彼と同郷のジョン・シールが撮影した作品の美しさには感動する(ああ〜…またコンビ組んでくれないかニャ〜…)。演技のヘタな俳優がほとんどいない…ってのも特徴。あの演出を考えれば、ヘタな役者じゃ絶対ムリだってことか(あのベニシオ・デル・トロやメル・ギブソンが若い頃、彼の映画に出てる)。
観る側にとってはけっこうハードな(云い方を変えると「ひねくれた」)作品が多いけど、私は彼の作品が(あんまり面白くないものも含めて)とても好き。彼の静かなる情熱がいつも感じられるから(ご本人は知的でとても穏やかな人だそう)。
それがよく表れていたのが「トゥルーマン・ショー」で来日したときの彼の発言。
「ハリウッドは観客は知性がないと決めつけて、説明過多な作品ばかり作ってる。でも私はそうは思わない。だからあえてこういう独自なやり方で、観客の知性に訴えたいんだ」
↓「ピーター・ウィアー監督インタビュー」
http://www.sankei.co.jp/mov/int/98/1027peter_weir.html
(写真見ると、けっこう素敵なおじさんだと思うんだけど…)
「自分の映画のメッセージなんてものを語るのはきらいだが、あえていうなら、目覚めよ!か。私は、自分の意思で行動しようといいたいのだ。『いまを生きる』も同様のテーマだった」
私はいつもそれを…あなたの作品で感じることができます…うううう…>ウィアー監督
でも残念ながら(けっして難解ではないんだけど)こういう作風とシリアスで全体的に地味なのが災いしてか、オスカーに何度もノミネートされるほど評価は高いのに、ヒット作はとても少ない…。
そして実は今年、待ちに待ったウィアーの新作で大作「マスター&コマンダー」(ラッシー主演)が公開されるんだけど…これ…大丈夫かニャ〜??…題材が題材なだけに、ものすご〜〜く心配。コケなきゃいいけど…。ウィアー自身も「観客を再びこのジャンル引きこむという、やっかいな仕事のことを考えると落ちこむんです」とまで云ってるし…。むむむむむむ…。
ちなみにラッシーは最初、主演のオファーを断ったそう(過去大コケしている題材だけにその気持ちはわかる)。でも「この12月にこの映画を正式に断った後、『おれは一体何してるんだ?』って考えて夜眠れなくなった。ピーター・ウィアーと仕事をするチャンスをふいにするなんて。ずっと夢見ていたことなのに」(NYタイムズより)…ということで、やっぱり主演を引き受けたそう。むむむむ…。
う〜ん…今日はウィアーについて語ってみたけど、やっぱり長くなっちゃった。私は彼が大好きだけど、「オススメ!」となかなか人に云えない。この気持ち…どんぐり仲間のみっちゃんならわかって下さるかも…。
あ〜…私がもし映画ライターなら…ウィアーにインタビューしてみたいニャ〜…。
では、また♪
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