行ってきました、味スタ最終日。

私にとっては最高のセットリストで大満足。
バラードを数曲選択するにあたり「光芒」「月光」を持ってきたなんて、本当に素晴らしくて泣きそうでした…が。

噂通り、イナ氏の高音が死滅、気の毒な状態で。
(もっとヒドイ状態の日もあったと友人たちから聞いた)
歌詞も何度かぶっ飛んでいました。


以下、思ったこと。

体調(喉)不良によるものなのか、加齢によるものなのか。
(たぶん7:3くらいだと思う)

今までB’zは悪天候などの不可抗力によりライブ遅延あるいは中断→中止があった程度で、基本的に「本人たちの体調不良」による完全キャンセルは一度もない。危うい場合でも公演中に数曲カットなどで済ませてきた。もし彼らが体調不良で公演をキャンセルするとしたら、それはとてもステージに立てる状態じゃない、あなた死んじゃいますよ、ドクターストップです、という生きるか死ぬかというレベルの、本当に重篤な体調不良によるものだとファンは思って真っ青になるはず(イナ氏なんてずいぶんとストイックな体調管理してきたから余計に)。

パフォーマンスができるかどうか、どの程度/状態ならライブを決行するのか。

命にかかわるレベルではない「体調不良」の際の公演キャンセルの基準はアーティストそれぞれで、1曲でも演奏や歌を聞かれたくない/聞かせられるレベルにないからキャンセルします、という人もいれば、できる限りやれる範囲内でなんとかしょうとする人もいる。

B’zは明らかに後者で、今までなんとかしてきた人たちだ。
「プロとして聞かせたくないレベル」より「プロとして聞かせるレベルにする」を選んできた人たち。
(どっちがいいという話ではない。どちらもアリだと私は思っている)

ファンはみんなそれを知っていて、とくにイナ氏はフロントマンだから状態が分かりやすく、あまり良くない場合は「体調が悪そうな中で今できる限りで歌っているな」と思いつつファンはライブを見守ってきた(もちろん私も)。

ただ…今回、こんなに何曲も高音が死滅した状態の歌や歌詞のぶっ飛び具合を聞かされると、正直云えばものすごいショックであり「キャンセルしてもいいんじゃないか?」という思いがライブ中ずっと頭の中をぐるぐるしていた。こんな経験は初めて。

そして、いくらイナ氏でも50過ぎて高音キープするのは大変だと思う。彼はいつもオリジナルの高さで歌おうとしている。既存曲だけでなくこれから出るだろう新曲も高さを変えてく、選曲を考慮する(サビの高音がキモになる曲、高低差の激しい曲は避けるとか)などなど…今後はいろいろと対応が必要になっていくのか。

味スタのアリーナ席で月を見上げながら、なんともいえない複雑な思いの中、スタートした31年目だった。

ZERO

2018年4月4日 びーず語り
1992年に出た曲。

https://www.youtube.com/watch?v=TUmni8kmlN4

いわゆるスタジオ撮りしたものではなくライブ映像によるPVで、当時もよくこれが流れていたっけ。
ステージ照明装置「スターフィッシュ」(舶来製直輸入モノ)が見えるので、
「Pleasure’91」ツアー(夏)のもの。
当時「ZERO」は発売されておらず(その年の秋に出た)、ツアー後半のアンコール時に演奏されたこともよく覚えております。なんかよくわからないけど、イナバ氏がインディアンみたいな羽飾り被って出てきて…でも基本スタイルはガンズのアクセル・ローズ仕様なので「??」でした。

そしてこの映像のせいで「イナバ氏=短パン」イメージが付いてしまい…念のためいっておきますが、先にツアーで短パンになったのは、松ちゃんですから!

ちなみ「ZERO」はイントロでふたりがぐるぐると回転するのが定番となっており、これは最初のときからそうでした。年齢を重ねるごとにやらなくなり(とくに松本氏)、ふたり一緒にやり出したらそれはそれで「年寄りの冷や水にならんやろか…」と余計な心配。そしてリップシンクになっていない、たとえばに1分5秒あたりからの…ふたり並んで腰を揺らし、イナバ氏がエアギターしているのは「孤独のRUN AWAY」の演奏時、1分57秒あたりからの両手を交互に突き出しているのは「FRIDAY MIDNIGHT BLUE」です。

30周年ツアーで期待するもの。

「ZERO」
やりますよね?
イントロでふたり回ってください。
ちゃんとシンクロしてね☆
1990年2月??あたりに出たシングル曲

https://www.youtube.com/watch?v=dRXQN-iTAso

この曲で思い出すのはなんといっても

ル ナ マ テ ィ ー ノ

衣装だ、衣装!

イナバ氏のステージ衣装は「誰が着るんだ、誰が!」というデザインばかりだったので、これもやっぱ「ああ、らしいなあ」です。

この曲が旬だったのはやっぱり1990年あたりなので、
収録されてた「break through」アルバムツアーでよく生歌を聴いたわけですが、
その後はツアーでは聴かなくなりまして。

次に生で聴いたのはたぶん…「ACTION」(2008)ホールツアーだったと
思います。それも2月あたりだったはず…たぶん…京都会館で。
(当たり!→http://akirine.diarynote.jp/200802061152180000/

で、このとき「LADY-GO-ROUND」を聴いたわけですが、

なんつーかその…気分が出ない。
高揚感が湧き出ない。
なんでだ!?
どーして??

と思ったら、

イナバ氏の衣装がルナ・マティーノでない、
マイクスタンドをアホかというほど振り回して歌ってない、
ガンガン照明が当たらない、
客席でもみんな踊い狂っていない。

からと気づきました。

やっぱ旬が命、当時のバブリー感がないとイマイチ曲で、
そりゃ長年外されるよネー。
と思ったのでした。

ばっちへ。
20周年ライブでは40代で短パン姿になったので、
30周年の50代では、ぜひルナ・マティーノ着てください!

松ちゃんへ。
mg-mでギター回しをしてください!

(オフィシャルサイトでメッセージ送信してきた☆)

福井公演

2018年1月21日 びーず語り
よく声が出ていて、昨年からツアー参戦している友人も「今回がベスト」と言ってました。

良かった良かった☆
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171230-00010007-jisin-ent

大丈夫かな…。
毎年この時期(クリスマス過ぎのホントの年末という意)は休養なんだけど、なんでか今年はツアーだったり。

30年近く、休演だの延期だのがなかったことのほうがスゴイことだし。
「無理せずに」というファンの気持ちは真実で、みんなそう思ってる。

過去にファンクラブ限定で開催されてきたステージ衣装やセットの一部、映像、楽器、写真、私物などなどを公開してくれるイベントが、来年は一般含めて開催されることになったんだけども、それについての彼らのコメントが――

僕達は30年の間、休むことなくレコーディング、ツアーを続けて来たことによって、今居るステージに立っています。そのプロセスで色々な風景を見てきましたし、今尚未だ見ぬ風景を求め、音楽創りを高いレベルで続けていくという意味合いを込めて、今回のエキシビションに“SCENES”と名付け、僕達が歩んで来た30年の軌跡を、1988-2018として記しました。 

とあって。ついつい♪よくまあここまで俺たちきたもんだなと~♪と歌ってしまったのものの…いや本当、マジで休んでないからなあ…。

だから無理だけはせんといてくれ。

過去、体調不良によると思われるズタボロの公演は何度か観たことある。
それは90年代、過酷で無慈悲なスケジュールだった頃の話で。
2000年代に入ってから、そんなことはなくなった。
ちゃんと管理し/され、無理が(できるだけ)ない、そしていろいろと投資されたツアーができるようになったから、なくなったんだと思うんだけど、ふたりとももう50代なんだからね…そればっかはどうにもならない。

加齢につれ高声キープは難しい、それでも頑張ってるんだと思う。
だってイナバ氏だから。

12月30日、B’zのライブGYM 2017-2018“LIVE DINOSAUR”がナゴヤドームで開催される。ボーカル稲葉浩志(53)の喉の不調への応援メッセージや心配の声が集まっており、Yahoo!リアルタイム検索ワードの上位に「稲葉さん」がランクインし話題となっている。

B’zは、28日インテックス大阪で開催されたFM802主催のロック・フェスティバル『RADIO CRAZY』に出演。ライブ中、稲葉の喉の不調により、声が出なくなりパフォーマンスが中断されるという事態に見舞われた。予定より少ない4曲でパフォーマンスを終えたという。このライブに参加した観客が当時の様子をツイートし、心配の声とともに拡散されていた。

ファンの間では、30日に行われるB’zのライブの有無の心配もされていたが、昨晩B’zの公式SNSを通して「B’z LIVE-GYM 2017-2018“LIVE DINOSAUR”at NAGOYA DOME Day 1 #Bz #Dinosaur」というメッセージとともにナゴヤドームの写真がアップされ、ライブがあることを知らせた。

これに対しファンは「本当にやるんですね稲葉さん、松本さん。本当のプロってこのことを言うんですね。」「稲葉さん、どうか無理だけはせず…」「頑張れ稲葉さん!頑張れB’z !!成功をお祈りしています」「やっぱりライブ中止にはしないのね…稲葉さん声大丈夫ですかね!!」「神様ーー!稲葉さんの喉を治してあげてください!!!」「稲葉さん心配です」「稲葉さんの声が出ますように 松本さんよろしくね。」などの応援メッセージを送っている。

そろそろ

2017年12月6日 びーず語り
新しいB’zのアルバムを買わないと。

邦楽はB’zくらいしか聴かないから、基準がいつも彼らになってしまうんだけど、それはファンとしてずいぶんと恵まれているほう、いやものすごーく恵まれているんだと、あるとき気がついた。

ちゃんとアルバムが出て、ライブツアーもある。そのツアーだってアーティスト側の理由による中止だの延期だのが、彼らはデビューの頃から全くない(荒天など、いわゆる悪天候による公演時間短縮はあったけど)。

頭下がるよ、本当。
ファンとして誇りに思う。

昔ほどの熱はない、でもずっとファンでいるだろうなあ。
うん。
8年ぶりにホールクラスの会場でライブツアーがあると告知を受けたので詳細を見にいったら、チケット代の高騰ぶりに驚いてしまった。

SS席 / ¥14,000
S席 / ¥10,000
立見 / ¥10,000
(SS席→ツバかぶり席)
チケットシステム利用料等が別途かかるそうな。

…なんだこれ。

その昔、3,000円台(3,090円だよ!消費税3%だよ!)からスタートしたチケッド代が、とうとう立見席まで福沢さんになっちまっただよ。

金沢公演が行けたらいいな…と思ったけれど、倍率高くて取れないね、きっと。

ファン歴が長くなると「諦めること」に慣れてくる。行けたらラッキーだよ、でも行けなかったら行けなかったで「ま、いっか」と思える自分がいる。ジョージのライブには、もう絶対にどうやったって行けない。その絶望感と後悔に比べりゃ、彼らのライブなんて過去に何度も(しかも全盛期に)行けたんだし、数回スキップしたところで本当になんてことないわ。

でもまあ、とりあえず応募はしてみるか。
山とあったB’z関連グッズの仕分けを本日完了。

完了してみて気づいたのは、わが部屋にあるもの5割がそれらで占められていたこと。

こんなにあったのか!
(そりゃそーだ、20年超えるんだから)

しょーもない紙屑レベルのものから貴重なものまで、うわ~って感じ。

購入した保存用段ボール箱4つを「90年代」「00年代」「10年代」「ファンクラブ品」に分け、さらに仕分け待ちだったグッズを丁寧に分別(コンサートグッズ・販促品・チラシ・記念品・カードなど)、本日ようやっとそれぞれの箱に入れ終わりました。

そしたら、まー「10年代」には物が入っていないことといったら!

「90年代」「00年代」と比べてみて、全体的にデジタル化へ移行+コンサートパンフを買わなくなったことが主な理由か、こりゃ時代の流れ、仕方がないなーと思った次第。

時間があれば、記念にそれぞれの箱の中の画像をアップしようかな…。
明日、出勤することになりました。
予定外想定外。

フォトタオルと飴、ツアトラ、チャリティグッズでも買ってくるか。

げ。

フォトタオル、4000円もするのか…。
セトリ変わってました。

それ正解!
ライブへ行ってきました。
めずらしくアリーナツアー初日でしたー<ホクリーク公演

やっぱライブで聴くと違うなあと。
CDで聴くクオリティとほぼ同じで聴ける(演奏と歌)幸せ。

アルバム外の曲は…なかなか通好みの選曲だったかと思います。
(≒久しぶりに聴けてよかったという曲があった)

でもって、最近のチケットは座席がどこなのか、ゲートをくぐらないとわからないものの(オークション対策だろうな)…なんとなく、本当になんとなくなんですけど「今回いい席かもしれない」と期待していました。そして実際にかなり良い席でした!

満足じゃ☆
DVDがついてたり、グッズがついてたり。
はたまたアナログレコード盤だったり。

いろいろなバージョンが販売されるようですが、私はたぶんなにもついてない通常盤を買うことになると思います。

グッズに興味がないし。アナログ盤あっても困るし(ただしデジタル音源DLコードがついてるのでアナログプレイヤーなくても聴くことはできる)。数年前だったかのライブ映像も別に観なくていいし。

フツーに新曲が聴ければいいなということで。

たぶん私にとって大事なのは、デビュー時から今まで応援してきた思い出だったり、リアルタイムで経験したライブだったりなので、物質的なグッズはあまり興味がないというか…正確に云えばもう興味がなくなったのだと思う。

ライブ映像いいんじゃない?…って云われるんだけども、なんつーかその…昔の曲は昔の曲であって、その当時の勢いはどうやったって再現できないし、今は今なりに別の良さがあるといっても、私の心にはグリップしない。過去でしかないというか。昔を懐かしんでしまうのでちょっとしんみりしてしまうし。楽しかったな、あの頃…みたいな。

私の中で彼らは90年代で終わったかもしれない(2000年代に入ってからなら2008年「ACTION」くらいかな…ピンときたのって)。そんな「つかずはなれずだけど、近い距離だと感じてる」な関係になった今、とっても満足している。

このままでいたい。
熱狂的な愛情は冷めたけど、愛着はあるからダイジョブさ☆
びーずイナバ氏のオフィシャルサイト(ソロのほう)で、長ーい対談が3本アップされているのですが、ついていけません。

私は基本どんな人とどんな話題でもそれなりに(アタシなりに)ついていけるタイプなのですが、そろいもそろって興味のないネタでディープに1時間近くあるこれらには、完全お手上げです。

http://en-zine.jp/pc/fate/index.html

1本目 福山雅治氏と「UFC対談」 格闘技
2本目 二井原実氏と「Vocalist対談」 ハードロック
3本目 木村信也氏と「カスタムバイク対談 in LA」 カスタムバイク

……。
イナバ氏のファンよりもそれぞれのシュミの人にはたまらん内容だと思います。

ちょこっとついていけそうなのは、2本目くらい?マサ・イトーいるし。でも…ジャパメタわかんないし、ラウドネス聞いたことないし、世代的にけっこう上だし。リップロールの話は面白かったけれど、理解は難しかったです。3本目はキアヌ・リーブスあたりと意気投合しそうなネタですね。

第4弾があるとしたら、イナ氏の趣味から察して「サーフィン対談」じゃないかと。相手はジャニーズのあの人あたりが最適だろうけど、多分事務所的にムリだろうなあ。
新横浜ではスタジアムでびーさんが、横アリではゆずさんがライブをしていたそうです。

5年ぶりの新横浜でした。そんなに変わっていることもなく(5年前は10年以上ぶりだったのでショーゲキを受けましたが)…ライブ以外は、お約束のようにマークスアンドウェブでお買い物をしました。また(たぶん)5年後にヨロシク

あとはこっちにはないナチュラル系の赤ローソン。健康志向の商品展開とその内容にちょっとビックリしたのでした。

ライブについては地下で。


そして今週末は、病院でMRIなどに入っての検査ですー。うー。
デビュー25周年を記念する全国ツアー<B’z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER->は、6月に初のオールシングル・ベストアルバム『B’z The Best XXV 1988-1998』と『B’z The Best XXV 1999-2012』をリリースした直後からホール公演を行い、8月から札幌、名古屋、福岡、大阪でのドーム公演を経て、横浜・日産スタジアムでのファイナル公演を迎えた。

25年前、1988年9月21日にデビューを果たしたB’z。記念日となるその9月21日(土)、翌22日(日)に行われたツアーファイナルには、2日間合わせて15万人(1日7万5千人)の観客が集結。1公演の観客動員数が日産スタジアム史上最多となった。

スタジアムツアーの幕開けとして書き下ろされた壮大なオープニングナンバー「OVERTURE」(作曲:松本孝弘)に、これからはじまる至福の時間への期待が徐々に高まる中、ステージの背後には、B’zのデビュー25周年を象徴する巨大な“XXV”が完成し、さらにそのシンボルから炎が燃え上がる。会場のボルテージが一気に集中したところで、1曲目となる書き下ろしのツアータイトル曲「Endless Summer」(作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘)が鳴り響き、ついにB’zの松本孝弘と稲葉浩志がステージに登場した。

ファイナル公演だけに、観客もステージ上のメンバーもオープニングからエンジン全開。加えて、ヒット曲満載の選曲で行われる<Pleasure>ツアーも2008年以来5年振りの開催とあって、異様なほどの盛り上がりをみせていく。2曲目の「ZERO」のあとは、おなじみのMC「B’zのLIVE-GYMにようこそ!」があり、「Pleasure2013~人生の快楽~」で松本と稲葉はステージを駆け巡った。「LADY NAVIGATION」「太陽のKomachi Angel」「ねがい」などの大ヒットナンバーで勢いを加速させた後は、バラード「GOLD」で稲葉が歌声をスタジアムの隅々まで行き届かせ、せつなくも美しい荘厳なギターの音色を奏でる松本の新曲「Rain」で心を打つ。

「愛のバクダン」からスタートした後半戦は一転、再び熱狂の渦へ。全長19メートルにおよぶ飛行船の出現に驚かされ、「イチブトゼンブ」では大合唱がおこり、「LOVE PHANTOM」で会場のテンションは最高潮に達した。ベストアルバムに収録されている新曲「Q&A」では、忍者が登場し、殺陣とダンスでミュージックビデオさながらのパフォーマンスを披露。さらに「ギリギリchop」では、圧巻の火柱が熱気とともに立ち上った。

「25年前、自分のバンドを作りたいなとこの人が思わなかったら、B’zは誕生しませんでした。On Guitar, Tak Matsumoto!」

そう稲葉から紹介された松本が、ギターでイントロを奏で、そのまま本編ラストとなる「RUN」へ。デビューから25年間走り続け、これからも走り続けて行こうとするB’zそのものを表したような楽曲に、感動のうねりがスタジアムを包み込んだ。

7万5千人のウェーブと歓声がメンバーを迎えたアンコールの1曲目は「juice」。そして、イントロが流れた瞬間から興奮のるつぼとなった「ultra soul」がラストを飾った。まさに完全燃焼と言える日産スタジアムでのフィナーレには、“2500発”の花火が夜空に舞い、B’zの夏は終わらない“ENDLESS SUMMER”の余韻が、ひとりひとりの胸に刻まれた。

■<B’z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER->
2013年9月21日(土)、22日(日) 日産スタジアム公演 セットリスト
〔OPENING〕
OVERTURE
1. Endless Summer
2. ZERO
3. Pleasure2013~人生の快楽~
4. LADY NAVIGATION
5. 太陽のKomachi Angel
6. ねがい
7. さよならなんかは言わせない
8. GOLD
9. C’mon
10. Rain
11. 核心
12. あいかわらずなボクら
13. 愛のバクダン
14. イチブトゼンブ
15. LOVE PHANTOM
16. Q&A
17. NATIVE DANCE
18. さまよえる蒼い弾丸
19. ギリギリchop
20. RUN
〔ENCORE〕
1. juice
2. ultra soul

なんと!

新横浜なう!


日産スタジアム1日目終了。

雨が降らない野外は久しぶりです。
マサイトーがインタビュアーで特番やってます。
21時から。

http://www.youtube.com/Bz

(さえきあきらさんじゃなくてマサイトー。個人的に嬉しい)

予想通りロック史に突入…。
(マサイトーだからね)

ロックだったら私はグランジ世代だからなあ…けっこう離れてる。クイーン…リアルタイムで見たのはフレディ追悼コンサート(WOWOW)か…むう。

いつアイアンメイデン出てくるかなと思ったら、最後でした。
フィーチャリング・イナ兄。

やっと本題へ。

今日届きました…けれど、オマケのビデオが欲しいからで、聴くことはほとんどないだろうなあ。

2枚で7000円。

全額ポイントで。お金はまったく払ってないです。


溢れる愛はポイントで支払いました…。


私がリリースしてみます。


・松ちゃんが高校時代に所属したバンドの名前は「スーパーイマージュ」。
・そのバンドでテレ東の番組に出演したことがある。
・「俺の女」というタイトルの曲がある
・アニメ「クリーミーマミ」の曲「LOVEさりげなく」ギター演奏担当は、松ちゃんである

・高校時代、イナ氏はテニス部所属。
・高校の学祭のために結成したバンドの名前は「ICBM」
・大学時代の下宿先は蕎麦屋さん
・Mr.クレイジータイガーという名で覆面シンガーしていた
・T-BOLANの前身バンドBOLANのライブでゲスト出演していた
・横浜国立大学に保管されている歴代の卒業アルバム、イナ氏が載っているページは切り取られている
・エアーギタリストだった。

・デビュー時のキャッチフレーズは「最先端から加速する」
・B’zとして学園祭に出演したことがある
・ファーストツアーの前にギターセミナーで地方を回ったとき、生ギター+アンプのカラオケで1コイン(500円)ライブをしてくれたことがある
・セカンドアルバム製作が伸びに伸び、昭和に作り始めて完成は平成。イナ氏はプレッシャーのため「山に逃げたい」と思っていた。

・初めてのラジオパーソナリティは、89年NACK5(FM埼玉)での「ミッドナイトスペシャル」
・その「ミッドナイトスペシャル」で消火器を持って乱入したのは、木根尚登氏である
・「オールナイトニッポン」初パーソナリティは92年。
・その「オールナイトニッポン」でイナ氏が鶴光のマネ「乳頭が~」「ええで…ええで…」を披露。ファンを凍りつかせたことがある

・「ギリギリCHOP」は最初「ギリギリ」というタイトルだったが、なにか付けたいとなり、パンチやキックなどが候補にあがり、結果チョップになった
・B’zのドラマ主題歌初タイアップは、89年「君の中で踊りたい」。
・「孤独のRUN AWAY」は、最初インスト曲としてドラマ主題歌になった。
・初期の見せ場は…松ちゃん「ギターまわし」 イナ氏「180度開脚」「魅惑の腰つき」
・native danceの振りを一度変えようとしたが失敗した
・Z’bのほか、メロン兄弟として活躍したことがある

・YAMAHAの松本モデル「MG-M」(初期型)は、松ちゃんの手元にはもう1本しかない
・都内某所にあるレコーディングスタジオで使用されているヘッドホンは「MDR-900ST」
・アルバム「SURVIVE」にはCDエクストラとして「Liar Liar」のPVがついている(専用ソフト要)
・香港で人気のある曲は「夢見が丘」(2000年)

・アルバム曲をすべて演奏できたのは「SURVIVE」ツアーくらいである
・ツアーグッズで「6万円ジャケット」が発売されたことがある
・ツアーTシャツイナバージョン「オレンジの昇り竜」は、現在プレミアである
・野外でライブをすると雨になることが多い
・松ちゃんはツアーで「哀愁でいと」を歌ったことがある
・イナ氏はヒデキのマネで「傷だらけのローラ」を歌ったことがある

・ファンクラブでチケットを購入すると、オマケ(チャームなど)がついてくる
・ファンクラブは最初メンバー200名程度でスタートした(会員1番と2番はふたり)

・イナ氏の某年のベスト映画の1本に「ドッグヴィル」(ラース・フォン・トリアー)
・松ちゃんは山菜が大キライ、イナ氏は納豆が大キライ
・空手を習い始めたが挫折し(松ちゃん)、サーフィンをしていて鼻を折った(イナ氏)

などなど。
知らなかった!B’zトリビアランキング
http://news.nicovideo.jp/watch/nw647128

デビュー時からのファンとして、記憶と体験とで補足。

1位.デビュー間もない頃、コンサートに人を呼ぶ為にMC中にコントをやっていた

「コンサートに人を呼ぶため」ってのは大げさ。20分近く長々と寸劇のようなコントをサポメンまで巻き込んでやってたのは、92年のRUNツアーくらいまでかしら。92年ってデビュー間もない頃なの?(→個人的にはバッコミくらいかなと思ってる)…ちなみに現在は、コントとまではいかないけど、なんかバカやってます。

2.コーラスに大黒摩季を起用していた時期がある

あります。シンパイナイモンダイナイナイナイ~とか。松ちゃんソロでもコーラスしてましたし。ついでにコーラスとして彼らとCX「ミュージックフェア」(91年だったか92年)出演しています。そのとき坪倉唯子さんと近藤房之助さんも一緒。持ち曲だけでなく、ボブ・ディランの「Knockin’ on heaven’s door」をカバーしたガンズのカバー(わかりづらい)、ジョン・レノン曲なども。

3.稲葉浩志は旺文社全国高2模試の数学のテストで全国3位になったことがある

英語じゃなく?(よく覚えてない…)
高校入試のときに数学1番だったっていう話は聞いたことあり。

4位 60.3ユニット名は、当初は「A~Zのすべてをカバーする」という意味を込めて、「A’z」が案として挙がっていたが、次のアルファベットのBを使って、「B’z」にした

「えーす」という読み。ボーカルとギターのふたりだから「ダブルエース」っていう意味でいいかな…とも思ったらしい。でも1980年代後半はHIVショックの時代、「えいず」とも読めるということでボツ(ラジオ出演の際にそう話してた)。

5位 現在は左稲葉浩志、右松本孝弘の並びだが昔は逆だった

はい。90年代半ば?くらいから突然変わりました。

6位 大ヒット曲『ultra soul』のタイトルは『Iron Soul』の可能性もあった

なんか他にも候補はあって…そのうちのひとつ。「うたばん」で歌詞の推敲ノートと紙切れが公表され、そこには「iron」とかありました→持ちdvdで確認。

6位 デビュー間もない頃、TVの音楽番組で山田邦子と『別れても好きな人』をデュエットしたことがある

はい。ギターは松本さんで。ついでにジョン・レノンの曲もサビの部分はデュエットになってましたね。ASKAの曲もやろうとしたけど、歌本と邦子さんのキーに相違があってできず(→持ちビデオで確認)。これも1同様、90年代初めは「デビュー間もない頃」なの?

8位 稲葉浩志は小学・高校数学教員免許を持っているが、中学の免許は「長
髪を切れ」と注意されたことが理由で実習をやめた為、持っていない

はい。往年のヒデキみたいな髪型でした。

9位 稲葉浩志の肺活量は8000ccで、歌声を乱さずにライブ中歌いながら走ることができる

具体的な肺活量は知らないけど「歌声を乱さず~」はホメ過ぎ。ただし、ゼーハーゼーハーになっているところは見たことはありません。

10位 稲葉浩志の本名は「稲葉浩志(いなばひろし)」だが、 松本孝弘が「松本孝弘(まつもとたかひろ)」で両方「ひろ」になるので、 稲葉浩志が読み方を変えた

あだ名は「ヘロシ」。それと「コーシ」の発音と響きのほうがガイジンっぽいですしね。

11位 CDの裏ジャケットや宣伝ポスター用などの為に、コスプレを何度かさせられている

すごかったですよ、98年のプレジャーのときとか。ちなみに松ちゃんのお気に入りは「ジミヘン」でした。イナ氏は…忘れた。個人的に「明石さんのマネ」がツボでした。

12位 稲葉浩志はTUBEのコーラスをやるも、ボツにされた事がある

ビーイング系では他にもあったような?
ただ前田さんのソロアルバムに、作曲(作詞ではない)2作品ほど提供し、採用されています。そのうちの1曲はアルバムタイトル。

13位 デビュー間もない頃、TVの音楽番組でチェッカーズの『涙のリクエスト』を歌ったことがある

はい。「夜のヒットスタジオ」のオープニングで。フミヤよりもキーがかなり高い状態で始まり、ダイジョブかな?と心配しました…が、やっぱり一番高いところではキツそうでした。歌えていたけど。

14位 二人共英語が堪能であり、外国人のサポートメンバーと通訳なしで会話をしている

イナ氏はね。

14位 デビュー間もない初期の頃はダンスミュージックが多かった為、稲葉浩志はダンスを強制的に習わされていた

NYあたりなどで。
その名残りが「Easy come, Easy go」のサビの振りにあります。

16位 ライブで洋楽のカバーをする、「Z’b(ズービ)」というバンド名で活動していた時期がある

はい。メンバーは綾小路幹彦・アミーゴコマシエンジェルJr、チャッキーこけし、マンボウカメ、はだか一貫。神戸三ノ宮「チキンジョージ」、大宮「フリークス」で見ました。ちなみに「IN THE LIFE」のMCコントコーナーに「Z’b」が出てきて、東京公演(渋谷公会堂)では「HERE GO AGAIN」(ホワイトスネイク)歌ってくれました。地方ではコントだけがほとんど、カバー披露まではしなかったと思います。

17位 稲葉浩志のカラオケの十八番は、小林幸子の『おもいで酒』

その時代によって変わるのでは?それっていつ?

17位 松本孝弘はSPEEDのファン(シークレットライブのタイトルに「Go! Go! Heaven」を引用したほど)

はい。90年代半ば、曲作りの合間によく「Go! Go! Heaven」のフレーズをギターで弾いてたとか(→オフィシャルDVDで発言を確認)

19位 稲葉浩志が教員免許を取った理由は、「金八先生のような先生になりたかったから」

中学の先生が素晴らしい方だったからだそうですよ(たぶん表向き)

20位 松本孝弘の血液型はO型だが、30歳を超えて人間ドックへ行くまで自身はA型だと思い込んでいた

はい。真剣に。「俺ってA型人間だから~」としょっちゅー云ってたのに、人間ドックで判明し、昔の発言をイナ氏に冷やかされていました。

21位 ライブ終了後、ファンとメンバーで「おつかれー!」というお決まりの挨拶がある

国内では。でもいっちゃん最初のツアーではなかったです、たぶん。そして北米公演でもなかった…けど、近年のはわからない。

22位 短パン時代は実は数年だけである

そーなんです、90年代半ばくらいまで。なので2008年のときに大騒ぎしたのです。

22位 稲葉浩志は故・勝新太郎とプライベートで交流があり、ライブに来てもらったりなど親しくしていた

帽子とBUZZ丼。

24位 稲葉浩志の子どもの頃のあだ名は「へロシ」

あ、ここに出てきたか。

25位 稲葉浩志が女の子にもてようと思って試したことは、「ヌンチャク」

ブルース・リーの時代ですから。

26位 “ビーズ”の正しい発音は“ビー”の方にイントネーションがくる発音

そうです。「ミュージック・ジャーナル」だったかタイトルうろ覚え、TVの音楽番組で、司会の古館一郎と田中律子に対し、そうイナ氏本人が云っていました。でも「絶対にその発音でなければならない」というほどのこだわりはないみたい。

27位 結成時には「一緒にバンドをやろう!」という意思表明をしないままデビューの話が進んだ

はい。で、セッションしてアンプが壊れて「ま、いっか」。

28位 デビュー前に二人が初めて会ってセッションした曲は ビートルズの『LET IT BE』と『OH! DARLING』

はい。イナ氏のデモテープ「HONESTY」(ビリー・ジョエル)を聞き、松ちゃんが「会ってセッションしてみようか」となったそうです。で、

ちなみにセッションした曲は、2008年に披露してくれました。

29位 稲葉浩志はプロレス好きで、もし参戦するならリングネームを「キリングマシーン・パンテ・ラ・コウシ」にするつもりらしい

ずいぶん昔の話のような?
ちなみにB’z初めての「オールナイトニッポン」で、ゲスト(録音で)は森高千里のほか、イナ氏がお好きなプロレスラーでしたね、たしか(誰だったけ~?録音テープあるけど、聞けない)。

30位 稲葉浩志の両親は岡山の「イナバ化粧品店」を経営しており、グッズや子どもの頃のアルバム等が展示されている為、ファンの聖地になっている

一時期ほどではないと思いますが、観光地です。最寄駅は「東津山」。

31位 ライブの定番人気曲の中に、パラパラのような振り付けがついている曲がある(『恋心』など)

恋心、native dance、 wonderfull oppotunityあたり、古い曲がファンの間では知られてるかな? 最近だと 「MVP」でしょーか。

32位 松本孝弘の出身校は「錦城高校」で、著名な卒業生の一人に所ジョージがいる

はい。

33位 稲葉浩志はライブ前には毎回必ず「ライブが失敗する悪夢」を見る

今もそうかはわかりませんが、きっちり見るそうです。「くつがない」とか。

34位 松本孝弘はB’z結成前、TM NETWORKのサポートメンバーとして参加していた

木根さんといいコンビでした。

35位 松本孝弘は歌手としてソロデビューしている

はい。個人的には98年ツアーで披露された「いてもうたるで」を聞きたい!
なんとか音源化プリーズ!

♪あいわすぼーん いん おーさか~♪ ♪しじんまんまん いえーい♪

36位 FIFA WORLD CUP KOREA/JAPAN OFFICIAL CONCERTにて、エアロスミス側からの指名で共演が実現し、セッションを行った

はい。B’z公演→エアロ公演→ラストふたりが出てきてセッションという形だったような。エアロ公演のとき「What It Takes」がセットリストにあり、「げ!マジで??」となりました…。(→NHK…BSだったかも?で放送有)

37位 稲葉浩志はジャニーズのスペシャルユニット「J-FRIENDS」のシングル『Next 100 Years』の日本語訳を担当し、デモ音源として稲葉がレコーディングしたバージョンが存在している

してます。聞いたことあります。

38位 シングルCDにおける2曲目以降の楽曲は「カップリング」「c/w」と表記せず、1曲目を「1st beat(ファースト・ビート)」、2曲目を「2nd beat(セカンド・ビート)」としている

はい。

39位 稲葉浩志はミュージックステーションに出演した際、トークは苦手という意味で「早く終えてしまいたい」と発言した事がある

「早く家に帰りたさそうな顔をしている」と会報にありあした。

40位 稲葉浩志はB’zとしての歌手活動以前、端整なルックスから事務所の斡旋で、モデルの仕事をしていたことがある

はい。新聞チラシに載るようなやつじゃなかったかしら?

41位 ライブの一番最初のMCは「B’zのLIVE-GYMにようこそ~~~~!!!!!」という毎回お決まりの言葉から始まる

最初の頃はシャウトではありませんでした。いつの間にかシャウト系に。

41位 稲葉浩志の地元・岡山県津山市には、稲葉浩志ゆかりの地を巡れる「稲葉浩志君の思い出ロードマップ」が存在する

あります。

43位 ライブツアータイトルは、一貫して「LIVE-GYM」と銘打っている

イベント形式で「Bad club gym」というのもありました。90年に。

43位 稲葉浩志は胸元くらいまである長髪時代があり、その姿でTVに出たことがある

ありますよ。Mステ。94年の年末かな? 超お疲れモード(9th bulesツアー中)で、司会の女子アナ(下平さんだったっけ?覚えてない…)に「お疲れですね」と云われてました。2曲歌ってくれて、うち1曲は「いつかのメリークリスマス」だったような。

45位 松本孝弘はデビュー前楽器屋でアルバイトをしていた

PVで見れますよ。


じーちゃんDVDレコーダーに入っていたのは、昔々のミュージックビデオ。もうお蔵入りだろうなあと思ってたのよ。ベージュタックパンツで吊り下げレディナビとかね。ルナマティーノなゴーラウンドとかね。

そしたら全部オマケでつけてくれるんだって!
(実はビデオじゃなく曲のほうがオマケ)

やっと地デジ化完了したら、これだよ…。20年近くかけてため込んだのに。

気になるのは、MOTELとreal thing shakesか。ロングバージョン知らないのです。どっちもショートだけしか持ってないの。

好きなのは、bad communication don’t leave me fire ball homeかな。

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