すちゃらか映画レビュー!(その44・後編)5/18さらにさらにさらに追記
2003年5月17日この日記でもときどき話題にする、ウィアー監督の新作でラッシー(ラッセル・クロウ)主演の映画「Master and Commander」なのですが。…いつになったら公式サイトが再開されるのでしょうか〜??…トレイラーまでなくなってしまいました…。
↓Master and Commanderの話(4/16の日記)
http://diary.note.ne.jp/25683/20030416
ヒュー子ちゃん主演の「ヴァン・ヘルシング」なんて、来年5月全米公開予定だというのに、もう公式サイトが立ち上がってるですけど〜…(でもヴァンパイアとフランケンシュタインとワーウルフの写真がUPされてるだけ〜)。
とりあえずスチール写真だけは、いくつかポロポロと公開されています。
↓「Master and Commander」スチール
http://www.comingsoon.net/cgi-bin/imageFolio.cgi?direct=Action/Master_and_Commander
あの…私、この映画の原作であるP・オブライアンの小説「ジャック・オーブリー船長シリーズ」は知らないのですが(読んだことがナイ)…ラッシーって、オーブリー船長としては(見た目)いかがなものなんでしょう?>原作をお読みになったことのあるみなさま
私としましては――まずラッシーの金髪にかなりビックリ。ちょっとキビシイ…。そしてなんだか…はちきれそうな衣装だよニャ〜と。「グラディエーター」(2000)では「鎧が重い!」と難クセつけたラッシーさんですが、今回はやはり「衣装がキツイ!」とケチをつけたのでしょうか〜??
というわけで、「すちゃらか映画レビュー!」どす!
今日のお題も先週に続き「ピーター・ウィアー」。
オーストラリア出身のP・ウィアー監督作品を取り上げてみました。
でも今日の作品は――ちょっと手強いじょ!!
「モスキート・コースト」The Mosquito Coast(1986・米)
IMDb→http://us.imdb.com/Title?0091557
監督:ピーター・ウィアー
脚本:ポール・シュレイダー
出演:ハリソン・フォード、ヘレン・ミレン、リバー・フェニックス、他
ストーリー:
無神論者でエゴイストな発明家アリー(H・フォード)は、病めるアメリカを捨て、理想郷を作ろうと中米ホンジュラスのジャングル「モスキート・コースト」に、家族とともに移住をする。妻(H・ミレン)はそんな夫を信じ、また長男チャーリー(R・フェニックス)も、父親は絶対的な存在だと信じていた。最初は理想通りの村を建設していたアリー一族だったが、ある日おもわぬ事態が発生。村は次第に崩壊していく。そして――。
いや〜…多くの人が「理解できない」と斬って捨てるこの作品。私もそう斬ってしまえたら…どんなに楽だったか。とにかくいろいろ考えさせられる。原作はベストセラー小説なんだけど、よくまあ映画化したもんだよニャ〜(興行的には失敗しちゃったけど)。今のハリウッドだったら絶対ボツだろうし、ウィアーも「目撃者/刑事ジョン・ブック」(1985)で成功しなかったら、監督できてたどうか…。
で。ウィアー監督作として見た場合、この作品でも主人公は「世間から隔離された場所」で生きている。その場所というのは、地理的なものだったり、あるいは主人公の状況、精神的なものだったりするんだけど…今作はそのすべてが極端、そして究極に描かれている。
H・フォード演じるアリーは、とにかく自分勝手でエゴまるだし。家族の思いより「自分がどう思うか」がすべて。病めるアメリカは最悪、自分の理想郷を作るんだと、家族を引き連れ「思い立ったが吉日」的にモスキート・コーストへ。トンデモ親父な彼に、奥さんや子供たちはよくまあついていったもんだよニャ〜と感心する。
父親が絶対的存在だったチャーリー。移住先で理想郷を作り上げたまでは、彼もそう思ってただろうけど、侵入者がきっかけでその理想郷が崩壊してしまったとき――初めて彼は父親に疑問を感じてしまう。
なにが理想で文明なのか。母への思い。何も知らない幼い妹たちと感情豊かに父親を罵る弟。そして多感な時期である彼を襲う父の「狂気」。どうしていいかわからず、でも父親をまだ心の中のどこかで信じている。そんなチャーリーをリバーは…素晴らしい演技で見せてくれる(当時、彼の演技は絶賛された)。彼は自然に演技をするタイプだったけど、その視線はいつも雄弁だったよニャ〜…。
実は彼の両親もアリーのような世間からドロップアウトした人で(ヒッピー系の宗教活動家だったっけ?)、小さい頃は移動の連続の日々だったとか。きっとチャーリーの気持ちがよく理解できたんだろう(弟や妹もいたし)。実際どう思っていたか――彼がいなくなってしまった今――訊くことはもうできないけど…。
H・ミレン演じる母親…彼女もアリーを信じていたけれど(実際彼女は、夫に対しいつも軽い感じで同意していた)、夫の狂気にさらされ、とうとう「自覚」する。なぜこんなことになってしまったのか。子供たちだけのせいではない。止められなかった自分のこそ責任があるのでは?…そんな姿が描かれている。
アリー役のH・フォードも最高(この役がかなり気に入ってるそう)。彼の出演映画の中では、演技だけならこの作品が最高だと思う。自分のエゴと矛盾に気付かないアリーをギリギリで演じてるよニャ〜。上手いわ〜。いつも「事件に巻き込まれてドタバタし、なんとか決着してエンディング」的な主人公ばっかり演じてきたせいか、彼が演技派だと思えなかった私。「別にフォードでなくてもいいのに、この映画」と思うことさえあった。だけど今作は違ってたニャ〜。ちゃんと自分が「事件のキーパーソン」的な演技もできるじゃんか!
ちなみにこのときの共演がきっかけで、「インディ・ジョーンズ3」で、リバーは若い頃のインディを演じることに。H・フォードから「彼がいい」とご指名を受けたとか。それになんといっても…彼は本当に美しかったよニャ〜…。レオ(ナルド・ディカプリオ)の数倍、彼は美しかったよ……。
で。この映画の脚本を書いたのがP・シュレイダー。この名前を見て「ぴ〜ん!」ときた人、いるかニャ〜??…とにかくちょっと変わった作品を手がけてる人(以前取り上げた「キャットピープル」とか)。なのでウィアーとシュレイダーだと…やっぱどうしても手強いイメージがしてしまう。実際、いつものウィアー作品よりもさらに「わかりにくい」・「理解できない」・「不条理」と云われちゃった。でもまあ、どんな脚本家と組もうと作品にウィアー節は必ず滲み出ているけどね。だって…あからさまな説教臭さはないでしょう??…音楽と美しい映像、そして俳優たちの確かでセリフに頼らない演技――それらだけで観る側に訴えかけているでしょう?
ラストは賛否両論だけど、私は救いがあると感じているし――あれでいいとも思っている。最期まで彼は彼のままだったけど…一家が乗った舟はどちらの方向へと向かっている?
「なんてひどい父親だ。エゴイストに振り回されてる家族が可哀想」…それ以上のことを感じ取れるかどうか。ウィアー作品の中でもとくに踏絵的な作品。
♯こんな人にオススメ
「『なにが描かれているのか?』と深く作品にダイブすることが好きな人」「リバー・フェニックス、大好きでした」
↓Master and Commanderの話(4/16の日記)
http://diary.note.ne.jp/25683/20030416
ヒュー子ちゃん主演の「ヴァン・ヘルシング」なんて、来年5月全米公開予定だというのに、もう公式サイトが立ち上がってるですけど〜…(でもヴァンパイアとフランケンシュタインとワーウルフの写真がUPされてるだけ〜)。
とりあえずスチール写真だけは、いくつかポロポロと公開されています。
↓「Master and Commander」スチール
http://www.comingsoon.net/cgi-bin/imageFolio.cgi?direct=Action/Master_and_Commander
あの…私、この映画の原作であるP・オブライアンの小説「ジャック・オーブリー船長シリーズ」は知らないのですが(読んだことがナイ)…ラッシーって、オーブリー船長としては(見た目)いかがなものなんでしょう?>原作をお読みになったことのあるみなさま
私としましては――まずラッシーの金髪にかなりビックリ。ちょっとキビシイ…。そしてなんだか…はちきれそうな衣装だよニャ〜と。「グラディエーター」(2000)では「鎧が重い!」と難クセつけたラッシーさんですが、今回はやはり「衣装がキツイ!」とケチをつけたのでしょうか〜??
というわけで、「すちゃらか映画レビュー!」どす!
今日のお題も先週に続き「ピーター・ウィアー」。
オーストラリア出身のP・ウィアー監督作品を取り上げてみました。
でも今日の作品は――ちょっと手強いじょ!!
「モスキート・コースト」The Mosquito Coast(1986・米)
IMDb→http://us.imdb.com/Title?0091557
監督:ピーター・ウィアー
脚本:ポール・シュレイダー
出演:ハリソン・フォード、ヘレン・ミレン、リバー・フェニックス、他
ストーリー:
無神論者でエゴイストな発明家アリー(H・フォード)は、病めるアメリカを捨て、理想郷を作ろうと中米ホンジュラスのジャングル「モスキート・コースト」に、家族とともに移住をする。妻(H・ミレン)はそんな夫を信じ、また長男チャーリー(R・フェニックス)も、父親は絶対的な存在だと信じていた。最初は理想通りの村を建設していたアリー一族だったが、ある日おもわぬ事態が発生。村は次第に崩壊していく。そして――。
いや〜…多くの人が「理解できない」と斬って捨てるこの作品。私もそう斬ってしまえたら…どんなに楽だったか。とにかくいろいろ考えさせられる。原作はベストセラー小説なんだけど、よくまあ映画化したもんだよニャ〜(興行的には失敗しちゃったけど)。今のハリウッドだったら絶対ボツだろうし、ウィアーも「目撃者/刑事ジョン・ブック」(1985)で成功しなかったら、監督できてたどうか…。
で。ウィアー監督作として見た場合、この作品でも主人公は「世間から隔離された場所」で生きている。その場所というのは、地理的なものだったり、あるいは主人公の状況、精神的なものだったりするんだけど…今作はそのすべてが極端、そして究極に描かれている。
H・フォード演じるアリーは、とにかく自分勝手でエゴまるだし。家族の思いより「自分がどう思うか」がすべて。病めるアメリカは最悪、自分の理想郷を作るんだと、家族を引き連れ「思い立ったが吉日」的にモスキート・コーストへ。トンデモ親父な彼に、奥さんや子供たちはよくまあついていったもんだよニャ〜と感心する。
父親が絶対的存在だったチャーリー。移住先で理想郷を作り上げたまでは、彼もそう思ってただろうけど、侵入者がきっかけでその理想郷が崩壊してしまったとき――初めて彼は父親に疑問を感じてしまう。
なにが理想で文明なのか。母への思い。何も知らない幼い妹たちと感情豊かに父親を罵る弟。そして多感な時期である彼を襲う父の「狂気」。どうしていいかわからず、でも父親をまだ心の中のどこかで信じている。そんなチャーリーをリバーは…素晴らしい演技で見せてくれる(当時、彼の演技は絶賛された)。彼は自然に演技をするタイプだったけど、その視線はいつも雄弁だったよニャ〜…。
実は彼の両親もアリーのような世間からドロップアウトした人で(ヒッピー系の宗教活動家だったっけ?)、小さい頃は移動の連続の日々だったとか。きっとチャーリーの気持ちがよく理解できたんだろう(弟や妹もいたし)。実際どう思っていたか――彼がいなくなってしまった今――訊くことはもうできないけど…。
H・ミレン演じる母親…彼女もアリーを信じていたけれど(実際彼女は、夫に対しいつも軽い感じで同意していた)、夫の狂気にさらされ、とうとう「自覚」する。なぜこんなことになってしまったのか。子供たちだけのせいではない。止められなかった自分のこそ責任があるのでは?…そんな姿が描かれている。
アリー役のH・フォードも最高(この役がかなり気に入ってるそう)。彼の出演映画の中では、演技だけならこの作品が最高だと思う。自分のエゴと矛盾に気付かないアリーをギリギリで演じてるよニャ〜。上手いわ〜。いつも「事件に巻き込まれてドタバタし、なんとか決着してエンディング」的な主人公ばっかり演じてきたせいか、彼が演技派だと思えなかった私。「別にフォードでなくてもいいのに、この映画」と思うことさえあった。だけど今作は違ってたニャ〜。ちゃんと自分が「事件のキーパーソン」的な演技もできるじゃんか!
ちなみにこのときの共演がきっかけで、「インディ・ジョーンズ3」で、リバーは若い頃のインディを演じることに。H・フォードから「彼がいい」とご指名を受けたとか。それになんといっても…彼は本当に美しかったよニャ〜…。レオ(ナルド・ディカプリオ)の数倍、彼は美しかったよ……。
で。この映画の脚本を書いたのがP・シュレイダー。この名前を見て「ぴ〜ん!」ときた人、いるかニャ〜??…とにかくちょっと変わった作品を手がけてる人(以前取り上げた「キャットピープル」とか)。なのでウィアーとシュレイダーだと…やっぱどうしても手強いイメージがしてしまう。実際、いつものウィアー作品よりもさらに「わかりにくい」・「理解できない」・「不条理」と云われちゃった。でもまあ、どんな脚本家と組もうと作品にウィアー節は必ず滲み出ているけどね。だって…あからさまな説教臭さはないでしょう??…音楽と美しい映像、そして俳優たちの確かでセリフに頼らない演技――それらだけで観る側に訴えかけているでしょう?
ラストは賛否両論だけど、私は救いがあると感じているし――あれでいいとも思っている。最期まで彼は彼のままだったけど…一家が乗った舟はどちらの方向へと向かっている?
「なんてひどい父親だ。エゴイストに振り回されてる家族が可哀想」…それ以上のことを感じ取れるかどうか。ウィアー作品の中でもとくに踏絵的な作品。
♯こんな人にオススメ
「『なにが描かれているのか?』と深く作品にダイブすることが好きな人」「リバー・フェニックス、大好きでした」
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