すちゃらか映画レビュー!(その48・前編)
2003年7月6日え〜っと、オープニングで語りたいことは昨日書いちゃったので(…)、今日はいきなりレビューに入ります〜。
今回のお題は「意識の流れと存在意義」。
けっこう考えさせられる作品を取り上げてみました。
!注意!
現在公開中の以下の作品をご鑑賞予定の方は、これから書く文章にネタバレが含まれていますので、ご注意下さい。また、モチーフとなった小説(「ダロウェイ夫人」)についても、かなりつっこんで書いているので、その小説をお読みになるご予定の方もお気をつけ下さい。
「めぐりあう時間たち」The hours(2002・米)
IMDb→http://us.imdb.com/Title?0274558
監督:スティーブン・ダルトリー
脚本:デビッド・ヘア
出演:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、エド・ハリス、他
ストーリー:
1923年英国リッチモンド。作家のヴァージニア(N・キッドマン)は、精神を病みながらも「ダロウェイ夫人」を執筆、午後からのティー・パーティの用意をしていた。1951年米国LA。妊娠中のローラ(J・ムーア)は、「ダロウェイ夫人」に深い感銘を受け、現在の自分のあり方に疑問を感じながらも、夫のバースディ・ケーキを作り始めた。2001年米国NY。出版社に勤めるクラリッサ(M・ストリープ)は、受賞した詩人のリチャード(E・ハリス)のために、受賞パーティを開こうとしていた。だが友人である彼はエイズに侵され、死の間際にいた――
これ――よく映画化したもんだよニャ〜…。
――と云っても、原作は読んだことがない私(←こら!)
ただ「ダロウェイ夫人」は、学生時代に四苦八苦しながら読んだことがありまして(レポート課題だった)、その怒涛の心理描写にかなり衝撃を受けたことを覚えています。でも…いや〜…まさかあのときの衝撃を、今度は映画で受けることになるなんて…。う〜む…。
わからない、つまんない、掴めない。
すばらしい、感動した、せつない。
評価は真っ二つにわかれる作品だけど、私は…う〜ん…そうだニャ〜…「ダロウェイ夫人」を読んだことなくても「感動した!」と云える人が、とてもうらやましい(私はたぶんムリだから)。でもって、よっぽどの演技派を持ってこないと成立しない作品だな〜、と。
小説では、文章という形で心情を描写できる。映画では俳優たちの演技がすべて。まあ、その俳優たちだって、脚本と演出があってこそ演技が成り立つんだろうけど…う〜む…。
生と死、そしてそれをめぐる「意識の流れ」、自分の存在意義――それらを「ダロウェイ夫人」の原作者V・ウルフ、「ダロウェイ夫人」を読んで感銘を受けた主婦のローラ、「ダロウェイ夫人」の主人公と同じ名前を持つクラリッサ――この3人の女性を通して描かれているのが、この作品の特徴。
ヴァージニアの「ダロウェイ夫人は死なない。代わりに他の人物を死なせることにしたの」。その人物とは――ダロウェイ夫人の(精神的な)分身である、セプティマス。最初はダロウェイ夫人を死なせる予定だったのに(作者自身がそう云っている)、なぜ彼になったのか?
そして――自分のため、自分らしく生きたいのに、それがかなわないヴァージニア。精神的に病んでしまい、これ以上迷惑をかけなくて、彼女は死を選ぶ。
自分の存在意義だけでなく、セクシュアリティまでよくわからない、ローラ。彼女は「ダロウェイ夫人」を読み、現在の自分に疑問を持つ(「ダロウェイ夫人」の主人公クラリッサ・ダロウェイも、時の流れを痛感し、自分の今までの人生に疑問を持ち出す)。本当に夫を愛しているのか?同性のキティに胸がときめくのは何故だろう?自分はいったいどのように生きたいのだろう?
精神的に追い詰められ、彼女は自分のために死を選ぼうとする。だが、愛する息子や産まれてくる子供を置いてはいけない。悩んだ末、彼女は生を選ぶ(ダロウェイ夫人と同じ)。
受賞した友人リチャードのために、パーティを開こうとするクラリッサ。「必ず来てね、パーティに!」と何度もリチャードに云い、花を買うために街に出る(リチャードがクラリッサのことを「ダロウェイ夫人」と呼びかけるのは、名前が同じであること、そしてダロウェイ夫人も同じように花を買い、パーティを催し、サリーという名の女性に心惹かれたから…といった理由だと思う)。だがこれで本当にいいのか――彼女はわからなくなってくる。リチャードが望んでいないからだ。
リチャードは――病に侵され、死にたいと思っても、大切な友人クラリッサのが悲しむため、死ねない。だが最終的に彼は――自分のために死を選ぶ(その瞬間はセプティマスと同じ)。
いや〜…重い。実に重い。映画観ながらずず〜〜んときた。正直云って好みでない作品。でもあと何年か経ったら――死を選ぶといったことはないだろうけど――「私の人生ってなんだろう?」と私も思いそうだ〜…。
生と死――重いテーマだし、救いのないシーンもある。でも…それが彼らの人生、だ。「ダロウェイ夫人」をモチーフとしながらよく描けている…けど、そういう内面描写を映画で描くってのは、本当にむずかしい。…だって、そのすべてが俳優の演技にかかってるんだから。
この作品は、最高の俳優を配役しているのがでっかいポイント。ニコール・ジュリアン・メリルの主演女優3人に、ケチはつけられないよニャ〜…。だって素晴らしかったもん。エド・ハリスなんて、メリル相手だから、とってもらく〜に演技してる(のが観ていてよくわかる)。やっぱメリルは最高の女優ってことか。
こういうアンサンブルものって、誰が一番良かったか?好きか?――という話によくなるけど、私はメリルが一番好み。でも、一番内面描写が難しかったのは――ジュリアンだったと思う。なので、彼女がよかった…と云っておこうかニャ?
ニコールはこれでオスカーをゲット。でもやっぱり(スティーブ・マーティンじゃないけど)「鼻の差」のような気がする。付け鼻にうんぬん云う人もいるけど、これほど心理描写で勝負な作品だったら、鼻をつけてまでニコール臭を消してしまいたいという気持ちも…なんとなくわかるような気がする(ウルフに似せたい…というよりも、自分をとことん消したかったのかニャ〜と)。なにせ彼女――本当は左利きなのに(ニコールは左利きなのです<左利きフェチの私)、映画の中では右でペンを持って文章書いてたし。
それにしても――3人にあげたかったニャ〜…<オスカー
好みの作品でなくても、理解ができなくても――3人の演技は素晴らしかったと思う。その点に関しては、感動したぞ!!
何度も観ないとわからない…と云われてるそうだけど、私はそう思わなかった。なんて云うか…自分のそのときの状況や心理状態によって、観た印象が変わる映画という感じ。あるときはヴァージニアに、またあるときはローラに…といったように。それが「何度も観ないとわからない」「何度も観てしまう」に繋がるのかもね。
それにしても…観て1ヶ月半くらい経つのに、なぜこの作品はこれほどまでに――私の心の中で反芻してるんでしょうね〜…。
♯こんな人にオススメ
「50代主婦」「人生とは?」
今回のお題は「意識の流れと存在意義」。
けっこう考えさせられる作品を取り上げてみました。
!注意!
現在公開中の以下の作品をご鑑賞予定の方は、これから書く文章にネタバレが含まれていますので、ご注意下さい。また、モチーフとなった小説(「ダロウェイ夫人」)についても、かなりつっこんで書いているので、その小説をお読みになるご予定の方もお気をつけ下さい。
「めぐりあう時間たち」The hours(2002・米)
IMDb→http://us.imdb.com/Title?0274558
監督:スティーブン・ダルトリー
脚本:デビッド・ヘア
出演:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、エド・ハリス、他
ストーリー:
1923年英国リッチモンド。作家のヴァージニア(N・キッドマン)は、精神を病みながらも「ダロウェイ夫人」を執筆、午後からのティー・パーティの用意をしていた。1951年米国LA。妊娠中のローラ(J・ムーア)は、「ダロウェイ夫人」に深い感銘を受け、現在の自分のあり方に疑問を感じながらも、夫のバースディ・ケーキを作り始めた。2001年米国NY。出版社に勤めるクラリッサ(M・ストリープ)は、受賞した詩人のリチャード(E・ハリス)のために、受賞パーティを開こうとしていた。だが友人である彼はエイズに侵され、死の間際にいた――
これ――よく映画化したもんだよニャ〜…。
――と云っても、原作は読んだことがない私(←こら!)
ただ「ダロウェイ夫人」は、学生時代に四苦八苦しながら読んだことがありまして(レポート課題だった)、その怒涛の心理描写にかなり衝撃を受けたことを覚えています。でも…いや〜…まさかあのときの衝撃を、今度は映画で受けることになるなんて…。う〜む…。
わからない、つまんない、掴めない。
すばらしい、感動した、せつない。
評価は真っ二つにわかれる作品だけど、私は…う〜ん…そうだニャ〜…「ダロウェイ夫人」を読んだことなくても「感動した!」と云える人が、とてもうらやましい(私はたぶんムリだから)。でもって、よっぽどの演技派を持ってこないと成立しない作品だな〜、と。
小説では、文章という形で心情を描写できる。映画では俳優たちの演技がすべて。まあ、その俳優たちだって、脚本と演出があってこそ演技が成り立つんだろうけど…う〜む…。
生と死、そしてそれをめぐる「意識の流れ」、自分の存在意義――それらを「ダロウェイ夫人」の原作者V・ウルフ、「ダロウェイ夫人」を読んで感銘を受けた主婦のローラ、「ダロウェイ夫人」の主人公と同じ名前を持つクラリッサ――この3人の女性を通して描かれているのが、この作品の特徴。
ヴァージニアの「ダロウェイ夫人は死なない。代わりに他の人物を死なせることにしたの」。その人物とは――ダロウェイ夫人の(精神的な)分身である、セプティマス。最初はダロウェイ夫人を死なせる予定だったのに(作者自身がそう云っている)、なぜ彼になったのか?
そして――自分のため、自分らしく生きたいのに、それがかなわないヴァージニア。精神的に病んでしまい、これ以上迷惑をかけなくて、彼女は死を選ぶ。
自分の存在意義だけでなく、セクシュアリティまでよくわからない、ローラ。彼女は「ダロウェイ夫人」を読み、現在の自分に疑問を持つ(「ダロウェイ夫人」の主人公クラリッサ・ダロウェイも、時の流れを痛感し、自分の今までの人生に疑問を持ち出す)。本当に夫を愛しているのか?同性のキティに胸がときめくのは何故だろう?自分はいったいどのように生きたいのだろう?
精神的に追い詰められ、彼女は自分のために死を選ぼうとする。だが、愛する息子や産まれてくる子供を置いてはいけない。悩んだ末、彼女は生を選ぶ(ダロウェイ夫人と同じ)。
受賞した友人リチャードのために、パーティを開こうとするクラリッサ。「必ず来てね、パーティに!」と何度もリチャードに云い、花を買うために街に出る(リチャードがクラリッサのことを「ダロウェイ夫人」と呼びかけるのは、名前が同じであること、そしてダロウェイ夫人も同じように花を買い、パーティを催し、サリーという名の女性に心惹かれたから…といった理由だと思う)。だがこれで本当にいいのか――彼女はわからなくなってくる。リチャードが望んでいないからだ。
リチャードは――病に侵され、死にたいと思っても、大切な友人クラリッサのが悲しむため、死ねない。だが最終的に彼は――自分のために死を選ぶ(その瞬間はセプティマスと同じ)。
いや〜…重い。実に重い。映画観ながらずず〜〜んときた。正直云って好みでない作品。でもあと何年か経ったら――死を選ぶといったことはないだろうけど――「私の人生ってなんだろう?」と私も思いそうだ〜…。
生と死――重いテーマだし、救いのないシーンもある。でも…それが彼らの人生、だ。「ダロウェイ夫人」をモチーフとしながらよく描けている…けど、そういう内面描写を映画で描くってのは、本当にむずかしい。…だって、そのすべてが俳優の演技にかかってるんだから。
この作品は、最高の俳優を配役しているのがでっかいポイント。ニコール・ジュリアン・メリルの主演女優3人に、ケチはつけられないよニャ〜…。だって素晴らしかったもん。エド・ハリスなんて、メリル相手だから、とってもらく〜に演技してる(のが観ていてよくわかる)。やっぱメリルは最高の女優ってことか。
こういうアンサンブルものって、誰が一番良かったか?好きか?――という話によくなるけど、私はメリルが一番好み。でも、一番内面描写が難しかったのは――ジュリアンだったと思う。なので、彼女がよかった…と云っておこうかニャ?
ニコールはこれでオスカーをゲット。でもやっぱり(スティーブ・マーティンじゃないけど)「鼻の差」のような気がする。付け鼻にうんぬん云う人もいるけど、これほど心理描写で勝負な作品だったら、鼻をつけてまでニコール臭を消してしまいたいという気持ちも…なんとなくわかるような気がする(ウルフに似せたい…というよりも、自分をとことん消したかったのかニャ〜と)。なにせ彼女――本当は左利きなのに(ニコールは左利きなのです<左利きフェチの私)、映画の中では右でペンを持って文章書いてたし。
それにしても――3人にあげたかったニャ〜…<オスカー
好みの作品でなくても、理解ができなくても――3人の演技は素晴らしかったと思う。その点に関しては、感動したぞ!!
何度も観ないとわからない…と云われてるそうだけど、私はそう思わなかった。なんて云うか…自分のそのときの状況や心理状態によって、観た印象が変わる映画という感じ。あるときはヴァージニアに、またあるときはローラに…といったように。それが「何度も観ないとわからない」「何度も観てしまう」に繋がるのかもね。
それにしても…観て1ヶ月半くらい経つのに、なぜこの作品はこれほどまでに――私の心の中で反芻してるんでしょうね〜…。
♯こんな人にオススメ
「50代主婦」「人生とは?」
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