←この頃(たぶん2002年)のメグはまだよかったのに、最近の彼女の顔ときたら相当ヤバイことになってる。なんであんなに顔をいじっちゃったのか…。

メグ・ライアン主演「イン・ザ・カット」を観に行ってきました。

日本公式サイト→http://www.inthecut.jp/

誰も褒めそうな映画じゃないので、とりあえず、褒めることができる…とゆーか、感心した点から書いてみるか。

ます、惹句(宣伝コピー)「触れて。そして壊して。」に感心。とくに斬新というわけではないし、なんだかBL系マンガ雑誌の表紙に書かれてそうな惹句ではあるけれど、まあギリギリ上品に留まったかなと。私だったら「女はそれが我慢できない」って、品なく(…)まとめそうだもん。

儚げで妖しいタイトル字体、挿入歌「ケ・セラ・セラ」、女性が歩いてたり、庭にいるだけなのにどこか非現実的…とゆーか、曖昧で夢うつつといった感のある映像……その観客をどこか遠くへ連れて行ってしまうんじゃないか三位一体タイトルバックに感心。オープニングってやっぱ大切だしね。映像や雰囲気に関しては、監督・脚本のジェーン・カンピオンのセンスを買いたい。

…と、まあこれくらいは褒めておいて。

サスペンス/ミステリーのカテゴリに入ってるこの「イン・ザ・カット」ですが、サスペンス好きの人が本作を期待して観ると、思いっきり返り討ちに遭ってしまうことでしょう。だって、ストーリーライン・伏線・キャラクターなどそのすべてが、ことごとく凡庸極まりないんだもん。

殺人犯かもしれないと疑いつつも男に心引かれる主人公、行動心理キーワードがスラングと詩、犯人の手がかりはタトゥーのみ、主人公に付きまとうあやしげな元恋人(お約束なケビン・ベーコンときたもんだ!)、なにげに複雑な家庭事情、やっぱりねのクライマックスと犯人像……ああああああああ…もうヌルいったら!

よって本作も「ミスティック・リバー」と同様、ミステリーやサスペンス部分より、ドラマ(対立する人間同士の間に生ずる葛藤や事件。劇的葛藤――三省堂提供「大辞林 第二版」より)部分が重視される作品。そうなると私の場合、おのずと評価は「主人公やそのほかの登場人物の心理に、どれだけ自分が共感するか」ってことに左右されちゃう。

じゃあ共感できたのか?と訊かれると…これがまた困ったことに、主人公フラニーより、演じたメグ・ライアンに共感しちまったい。

なんつーかその…一定の距離を置きたがるフラニーの気持ちはわかるけど、あそこまで女の性(さが)を見せられると引いちゃうというか、まだ私には存在しない愛欲心理なので、フラニーが四六時中そればっか考えてる性(せい)の国の住人に見えちゃった。同じように女の性(さが)を描いても、「チョコレート」のハリ・ベリーとはでっかい差があったよニャ〜…。

で、そのフラニーを演じたメグですが――正直云って、彼女よりもっとフラニーに適した女優がいたと思う。なにもメグでなくたってよかったと思う。だけど、「この映画に出たかったの」というメグの気持ちはよくわかった。イメージを変えたいんじゃなくて、ラブコメばかりではなく、こんな映画も出てみたいってことだよね…。

「ラブコメでは役を作らなくてはいけない。だけど今回は役になりきればよかった。役を作って提供する代わりに、ただそこにいればよかった」。うん……「イン・ザ・カット」観てたら、それがよくわかったよ…。

脇役陣では、いかにもな配役をされたケビン・ベーコンが(やっぱり)印象的。いくつになっても顔が変わらない恐るべき彼ですが、今回はとくに青年っぽく見えちゃって…う〜む、これが作中で一番コワかったことかも。

妹役のジャニファ・ジェイソン・リーは――金髪だったから最初彼女だと気付かなかった――相変わらず上手い女優さんで、もちっと役柄に恵まれたらいいのにな〜と。

世における今作の評価はとても低いし(私もそう思う)、ヒットしなかったけど、たぶんメグにとっては後悔のない作品――だけどそれでは映画としてつまんないし、またそれで成り立ってもらっても困る。でもカンピオン監督の演出うんぬん、メグうんぬんという以前に、原作がそーゆー内容なんだから仕方ないってのもあるか。なので、つくづく残念に思ってしまった1本。

しかし…この映画を思い出すたびに、頭の中で「ケ・セラ・セラ」が鳴り響く――これにはマジ参っちゃったな〜…。

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