←うちのままりん(母)は石原裕次郎のことが大好きで、いつも彼のことを「裕次郎」と呼んでいます。
そんな母から、高校入学の頃でしょうか、腕時計を贈られまして…それを左腕に巻こうとしたとき、突然「裕次郎はね、右利きなのに時計はいつも右にしてたのよ」と聞かされました。
――以来、私はずっと右に腕時計をしています。
…というわけで、いきなり裕次郎映画の話をば。
もうずいぶん昔――俳優の石原裕次郎が亡くなったとき、CX「ゴールデン洋画劇場」で、追悼放送として「紅の翼」(昔の主演映画)が流れました。そのときが初めての「裕次郎映画」体験だったと思うのですが、当時の私には残念ながら魅力的に思えず、そのまんま「ふ〜ん」と流し観で終わってしまいました。ところがその1年後――作家・石坂洋次郎の作品に出会ってから、私は稲妻に打たれたかのように数々の「裕次郎映画」を観ることになったのでした。
私にとって、石坂洋次郎(1900-1986)は今でも一番好きな作家です。その作品の多くは青春小説で(全部読んでないから確かではありません)、その流れるような瑞々しい文体・ユーモラスな語り口・個性的で前向きな登場人物たち・とても戦前の小説とは思えない明るく甘酸っぱいストーリー…それらに出会って以来、すっかり虜となり、高校時代はよく彼の小説を読んだものです。
その中でもお気に入りだったのは、「若い人」「青い山脈」「陽のあたる坂道」の3作。とくに「陽のあたる坂道」はMyベスト作品で、いまでもときどき本を出しては読んでいますし、この作品における彼の文章は、私の永遠の憧れだったりします。
ちなみにストーリーは――上流階級で育ちながらも自分は愛人の子であると知っている主人公の信次。彼は家族と常に距離を置き、アウトサイダーな立場を貫く生活をしている。だが、妹の家庭教師で女子大生であるたか子や生母との出会いから、少しずつ自分のアイデンティティを取り戻していく――というもの(こう書くと、たしかにちょっと「エデンの東」が入ってるか)。
ところがこの主人公の信次。どう読んでもま〜んま石原裕次郎。ルックスや言動などの描写を読むと、彼をモデルとして書いたとしか思えず、私の頭の中ではすっかり「信次=若き日の裕次郎」という公式が出来上がり、小説を読んでいると、勝手に文章が脳内映像化されてしまうという状態にまでなってしまいました。
がしかし。まんま石原裕次郎主演で映画化された「陽のあたる坂道」は、観たくてもレンタルビデオ屋さんに置いてないことが多く、未見のまま数年が経ってしまい――結局観ることができたのは、大学生になってからでした。
やっと観ることができた「陽のあたる坂道」は――信次を演じた石原裕次郎はもちろんのこと、くみ子やたか子、雄吉、みどりなど…登場人物すべてがとても魅力的、ストーリー・脚本は原作のスピリットそのまんまという嬉しい仕上がり。3時間を越える長尺だし、ともすれば地味な青春もので起伏は少ないし、当時(50年代)の倫理観と現在のそれではギャップがあるし、石原裕次郎だって決して上手くない――けど、その想像以上の出来に、私は感動しました。
ああ!そうそう!そうなのよ!
信次はそうやってトンカチで床をたたくし、「僕の憲法さ!」のセリフも最高だし、みどりは腹芸の上手い女だし、玉吉はしょーもない俗物だし――そう!そう!そうなのよぅ!
原作のスピリットを失わないまま、映画としても成り立つ脚本を書き、ベストなキャスティングをする――なに当たり前なこと云ってるんだと(我ながら)思いますが、まず原作ありきな作品はその当たり前さが重要なんだよニャ…。
そして若き日の石原裕次郎。決して上手い俳優ではないし、美形というわけでもないのに、スクリーンに映るたびになぜか惹きつけられ、そのまま強烈な印象として残ってしまう――これが唯一無二なスタアというものなのかと、思い知らされたものです。
さすがに昔の主演作(青春ものや無国籍もの)は、いま見るとギャップが大きいので、そのすべてを観ることはもうないだろうけど、私が観た数本の作品だけでも、なんで彼が当時大人気のスタアだったのか、なんでいまでも慕われているのか――それらがわかるような気がしました。う〜む。
ところで。
この話を書くにあたり「陽のあたる坂道」を再見しようと、レンタルビデオ屋さんに行ってきたのですが、やはり置いてなく――あ〜あ、どうしようかなと思っていたら、お茶の間にあるBOXの中に、「陽のあたる坂道 S33 S62.7.25」と書かれたビデオテープを発見してしまいました。…ままりん、撮ってたのね……。でも再見したら、この映画の裕次郎さん――時計を左にしてたんですけど…。
なお、「陽のあたる坂道」は60年代に渡哲也主演、70年代に三浦友和主演でリメイクされているそうですが、そちらは未見です…ってか、ふたりとも信次のイメージとはぜんぜん違うっつーの!!
そんな母から、高校入学の頃でしょうか、腕時計を贈られまして…それを左腕に巻こうとしたとき、突然「裕次郎はね、右利きなのに時計はいつも右にしてたのよ」と聞かされました。
――以来、私はずっと右に腕時計をしています。
…というわけで、いきなり裕次郎映画の話をば。
もうずいぶん昔――俳優の石原裕次郎が亡くなったとき、CX「ゴールデン洋画劇場」で、追悼放送として「紅の翼」(昔の主演映画)が流れました。そのときが初めての「裕次郎映画」体験だったと思うのですが、当時の私には残念ながら魅力的に思えず、そのまんま「ふ〜ん」と流し観で終わってしまいました。ところがその1年後――作家・石坂洋次郎の作品に出会ってから、私は稲妻に打たれたかのように数々の「裕次郎映画」を観ることになったのでした。
私にとって、石坂洋次郎(1900-1986)は今でも一番好きな作家です。その作品の多くは青春小説で(全部読んでないから確かではありません)、その流れるような瑞々しい文体・ユーモラスな語り口・個性的で前向きな登場人物たち・とても戦前の小説とは思えない明るく甘酸っぱいストーリー…それらに出会って以来、すっかり虜となり、高校時代はよく彼の小説を読んだものです。
その中でもお気に入りだったのは、「若い人」「青い山脈」「陽のあたる坂道」の3作。とくに「陽のあたる坂道」はMyベスト作品で、いまでもときどき本を出しては読んでいますし、この作品における彼の文章は、私の永遠の憧れだったりします。
ちなみにストーリーは――上流階級で育ちながらも自分は愛人の子であると知っている主人公の信次。彼は家族と常に距離を置き、アウトサイダーな立場を貫く生活をしている。だが、妹の家庭教師で女子大生であるたか子や生母との出会いから、少しずつ自分のアイデンティティを取り戻していく――というもの(こう書くと、たしかにちょっと「エデンの東」が入ってるか)。
ところがこの主人公の信次。どう読んでもま〜んま石原裕次郎。ルックスや言動などの描写を読むと、彼をモデルとして書いたとしか思えず、私の頭の中ではすっかり「信次=若き日の裕次郎」という公式が出来上がり、小説を読んでいると、勝手に文章が脳内映像化されてしまうという状態にまでなってしまいました。
がしかし。まんま石原裕次郎主演で映画化された「陽のあたる坂道」は、観たくてもレンタルビデオ屋さんに置いてないことが多く、未見のまま数年が経ってしまい――結局観ることができたのは、大学生になってからでした。
やっと観ることができた「陽のあたる坂道」は――信次を演じた石原裕次郎はもちろんのこと、くみ子やたか子、雄吉、みどりなど…登場人物すべてがとても魅力的、ストーリー・脚本は原作のスピリットそのまんまという嬉しい仕上がり。3時間を越える長尺だし、ともすれば地味な青春もので起伏は少ないし、当時(50年代)の倫理観と現在のそれではギャップがあるし、石原裕次郎だって決して上手くない――けど、その想像以上の出来に、私は感動しました。
ああ!そうそう!そうなのよ!
信次はそうやってトンカチで床をたたくし、「僕の憲法さ!」のセリフも最高だし、みどりは腹芸の上手い女だし、玉吉はしょーもない俗物だし――そう!そう!そうなのよぅ!
原作のスピリットを失わないまま、映画としても成り立つ脚本を書き、ベストなキャスティングをする――なに当たり前なこと云ってるんだと(我ながら)思いますが、まず原作ありきな作品はその当たり前さが重要なんだよニャ…。
そして若き日の石原裕次郎。決して上手い俳優ではないし、美形というわけでもないのに、スクリーンに映るたびになぜか惹きつけられ、そのまま強烈な印象として残ってしまう――これが唯一無二なスタアというものなのかと、思い知らされたものです。
さすがに昔の主演作(青春ものや無国籍もの)は、いま見るとギャップが大きいので、そのすべてを観ることはもうないだろうけど、私が観た数本の作品だけでも、なんで彼が当時大人気のスタアだったのか、なんでいまでも慕われているのか――それらがわかるような気がしました。う〜む。
ところで。
この話を書くにあたり「陽のあたる坂道」を再見しようと、レンタルビデオ屋さんに行ってきたのですが、やはり置いてなく――あ〜あ、どうしようかなと思っていたら、お茶の間にあるBOXの中に、「陽のあたる坂道 S33 S62.7.25」と書かれたビデオテープを発見してしまいました。…ままりん、撮ってたのね……。でも再見したら、この映画の裕次郎さん――時計を左にしてたんですけど…。
なお、「陽のあたる坂道」は60年代に渡哲也主演、70年代に三浦友和主演でリメイクされているそうですが、そちらは未見です…ってか、ふたりとも信次のイメージとはぜんぜん違うっつーの!!
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