「ドッグヴィル」

2004年8月1日
←このシーンの映像がとにかく綺麗でした。いままで観たニコール主演作の中で、彼女が1番美しく映ってたのはこのシーンだと思ったくらい(04年上半期フェイバリット映像かも)。トリアー監督の提唱する「ドグマ」なんて、ぜんぜん興味ナイんだけどなあ…。

けっこう前に劇場で観たのですが、なんとなく感想を書きたくなったので、ラース・フォン・トリアー監督最新作を取り上げてみます。
(もし字数が制限できたら、ガス・ヴァン・サント監督作「エレファント」の感想も、一緒にUPしたいと思ってたのですが……ムリでした)

「ドッグヴィル」Dogville(2003・米)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0276919/
日本公式サイト→http://www.gaga.ne.jp/dogville/index.shtml
監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー、クロエ・セヴィニー、ローレン・バコール、他

ストーリー:
アメリカの片田舎にある村ドッグヴィル。ある日、街のほうから銃声が聞こえ、追跡から逃れるように美しい女性グレース(N・キッドマン)が村にやって来た。とっさに彼女をかくまう住人トム(P・ベタニー)。その翌日、グレースを村でかくまうかを巡って住民会議が開かれ、2週間で彼女が村人全員に気に入られれば、村に住めることとなった。そしてグレースは住人たちの家を回り、奉仕活動をし始めるが――。

なんつーかその…トリアー監督の作る映画ってのは、「キングダム」のような商業ベースに乗っかってるような作品は別にして、基本的に俺流「共感を拒む映画」なのであって、必ずしも共感が必要とされてないし、彼自身もそんなにそれを望んでないと思うんだよニャ…。

プロローグと9章エピソードから成り立ち、壁やドアがなく白チョークで書かれた区切りにセットを置き、戸外での撮影も一切ない――という、キッカイなプロットを持っている本作。淡々と流れていくストーリーの中で、なんとも云えない(…って、あとで云うけど)悪意を折り込んでいるくせに、犠牲者のように見えるニコールはとてつもなく美しい。う〜む…トリアー節炸裂と云うか、自意識があるくせに存在しないように見せかける悪意(もしくは普遍妥当性を持たせようとしている客観的悪意)、さらに倍増と云うか。←意味、わかります?

たとえば…グレースが***されても、セットに壁はないので、観客側にその残虐行為が丸見え――でも住人たちにとっては壁がある。それは=「ドッグヴィルと観客との間に存在する壁」でもあって、ある意味、とても嫌なものを目の前に突きつけられるわけだけど、その壁や嫌なものを受け入れられるか、あるいは客観的に観ることができるかが…この作品(とゆーか、トリアー監督作)に対しての評価の分かれ目になるんだろうニャ〜…。ちなみに私は彼の映画を客観的に観れるタイプなのですが、それでも体力がない、あるいは精神的に疲れてるときはよう観ません。…そう思うと、トリアー監督の映画に出演している俳優さんたちはスゴイよニャ〜…。撮影はいつも監督と大バトルを起こしながら展開していくそうですが、セットにいるだけで体力・精神力ともに磨り減りそうなんだもん。

米国が舞台となっていることや、「アメリカ三部作にする」といった監督のご発言から、アンチアメリカ作品と云われて、一部の米国系ジャーナリストや批評家から批判が出てましたが(「米国に行ったことのないアンタにわかるのか」とかなんとか)……そ〜お?…監督には悪いけど、別に舞台がアメリカでなくても成立しそうだよニャ…。

そしてよく云われるのが「野心的で鼻につく作品」。そ〜お?…私にはよっぽどトムトムや二コールのほうが野心的に思えるのになあ。…って、そんなこと思ってしまうのは、トリアー監督自身が私の中で「しょうがないな、彼だから」という免罪符的存在になってるせいなのかもしれないし、まだ「ドッグヴィル」は比較的観やすい作品だったからかもしれない。ただし、もちっと短くして欲しかったかな。

最後まで淡々と客観的に観ていたけれど、最後の最後、グレースが下した決断――たとえ残虐だったとしても、あれでは仕方ないだろう、一理ある、それほど暗く感じなかった――そう思ってしまった自分の内なる黒さに、愕然とさせられた1本。

あ〜あ…本当、イヤな奴!>トリアー監督

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