高校時代に読んだ青春小説の感想を。

石坂洋次郎の作品については以前語ったので、今回は石坂作品とともに特別な思いがある、ブレット・イーストン・エリスの作品を取り上げます。

■「レス・ザン・ゼロ」ブレット・イーストン・エリス
ISBN:4120017168 単行本 Bret Easton Ellis 中央公論社 1988/09 ¥1,155

ストーリー:
L.Aの裕福な家庭出身であるクレイは、大学の冬休みを利用して地元に戻ってきた。同じく裕福な友人やGFのブレアとともに、パーティ・ドラッグ・セックス三昧な毎日を送りるクレイ。感情的になることもなく、虚無的・無気力・無関心、日々の生活には憂鬱さと倦怠感さえ漂り、すべてにおいて乾ききった彼だったが、あるとき友人ジュリアンの様子がおかしいことに気付く。そして――

米国では1985年に出版された、ブレット・イーストン・エリス(当時20歳)のデビュー作にして、80年代を代表する青春小説の傑作。

高校時代、同級生たちやまわりが吉本ばななや村上春樹を読んでた頃、私はブレット・イーストン・エリスを読んで大衝撃を受けていた。

主人公クレイの一人称で綴られるこの「レス・ザン・ゼロ」は、彼が端的で的確な人物観察のできる人間でありながら、恐ろしいまでの無関心さと冷えた心を持っている青年だということを淡々と描いている。ストーリーは、エリスらしく盛り上がりや衝撃的なラストがあるわけではないが、ドラッグやセックスまみれのスキャンダラスで享楽的な日常を送る若者たちを描き、その中でクレイの冷えた行動と心理を追っているという内容だ。

次々と登場してくる人物たちは、名前があってもクレイの目には基本的にへのへのもへ字として映り、彼の興味をそそる親友なんて誰ひとり出てこない。家族にいたっては名前すら出てこず、妹ふたりは「上の妹」「下の妹」と表現され、両親は体裁のみ、彼は家族という名前のコミュニティに属しているだけである。

「人は人、我は我」という本人に自覚のない信念のもと、虚無的・無関心…でも彼にとっては至極ナチュラルなのであろう、なにひとつ不自由のない生活――だが、それと反比例するかのような、冷めて冷えて乾ききった心を、掘り当てれば溢れ出てくるだろう暖かな水で、彼は潤したくないのだろうか?

そんなことを思いながらも、私はクレイの思考や行動が嫌いになれなかった。理由は簡単で、あの当時の私は彼と同じような冷えた心――つまり、自分の中にクレイが確実に存在することを知っていたし、妙な自意識を持っていたこともあって、まわりの人間がへのへもへ字に見えて仕方がなかったからだ。なんて傲慢だったんだろう。なんて厭な奴だったんだろう。いまでもあまり変わってないところがあるか。

80年代――冷たい戦争と云われた時代、私の目に映った米国は、レーガノミクスのもと、いつまでもパーティをやってるかのような享楽的でポップ、MTVが幅を利かす文化を垂れ流していた。日本でもMTVが流れ、私は小林克也の番組を見、TBSベストテンで歌謡曲を聴き、ブラットパック映画を鑑賞し、成績が落ちない程度に勉強をし――そして心の中に表現しきれない、おそろしく冷えたものを自覚のないまま抱えこんでいた。

エリスの「レス・ザン・ゼロ」を読んだとき、自分以外にもそんな冷えた心を持つ若者がいて、それを一人称でリアルに表現されていることにショックを受けた。

小説は盛り上がりもなく、淡々と終わっていく。
決して明るくはないし、読むと確実にどよ〜んとする。

クレイはたしかに虚無的だ。
彼が語る内容は空っぽで、我関せずという姿勢は徹底している。

でも時折出てくる幼い頃の回想シーンは、彼がゼロ以下な人間だけではないところを垣間見せてくれ――それがどれだけ読者に伝わっているかはわからないが――この小説に存在する、唯一の救いのかけらになっていると思う。

ビリー・アイドル、デュラン・デュラン、プリンスといった当時人気のあったアーティスト名や、MTVが最先端だったことなど、時代を感じさせるところはある。だが若者の冷えた心の表現が普遍的なものとなり、また翻訳が名訳なこともあって、いま読んでも文章に古さを感じさせない。それどころか、斬新で端的な文体はエリスと「レス・ザン・ゼロ」以降に現れた「エリスもどき」を、完全に差別/区別化させている。

エリスの作品を「絶望の青春小説」と呼ぶ人がいる。でもそれはごく一般的な、恋だの家庭の悩みだとといったステレオタイプな青春小説とはかけ離れているから客観的にそう見えるだけであって、実際のエリスは絶望を(直接的には)書いていないと思うし、クレイだって自分の青春や人生が絶望的だなんて、これっぽっちも思っちゃいないだろう。たぶんエリスは――その欠落を書きたかったのではないだろうか。表現するまで彼の心の奥底に沈んでいただろう、虚無的でゼロ以下な心を。

先日、JRで移動中に「レス・ザン・ゼロ」を久しぶりに読んだ。つい夢中になって一気に読んでしまったが、昨年日本で文庫本化された「ルールズ・オブ・アトラクション」(彼の二作目)は、映画と同様、テクニカルな手法が鼻につき、「レス・ザン・ゼロ」で感じたリアルさが一気に薄れていた。そうとなれば、盛り上がりとオチのない内容は、読んでてもただつらいだけだ。心底ガッカリしてしまった。それでもエリスの新作が出れば読んでしまうのだろうし、映画化されたら観てしまうのだろう。

「レス・ザン・ゼロ」は、80年代のヤッピーを強烈に正直に描写した小説だ。その時代に10代を送った者とって(全員がそうだとは云わないが)、ブレット・イーストン・エリスは、好き嫌いの次元を超えた特別な作家であり、また彼の作品を読むことによって、私は心の奥底に沈む冷たいものを、いまだに消化できていない――いや、消化することなんてできないだろう自分を感じるのである。

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