←いいじゃん♪サニエちゃん♪カワイイじゃ〜ん♪…主演のひとり、リュディヴィーヌ・サニエちゃん(25)は、ダイエットをしてこのボディを作り上げたそうです。最初から完璧な女なんていません。そう――女は加工品!磨き磨かれ、綺麗になっていくのです!…と個人的に思ってるだけ。

「スイミング・プール」Swimming Pool(2003・仏/英)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0324133/
日本公式サイト→http://www.gaga.ne.jp/swimmingpool/
監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム
出演:シャーロット・ランプリング、リュディヴィーヌ・サニエ、チャールズ・ダンス、他

ストーリー:
推理小説家のサラ(C・ランプリング)は、出版社社長ジョン(C・ダンス)の勧めで南仏にある彼の別荘へ行き、新たな小説を書こうとしていた。だがひとりだと思っていたところに、ジョンの娘だというジュリー(L・サニエ)が現れる。自分とは正反対に奔放で気まま、毎夜違う男を連れ込むジュリーに対し、怒りを感じるサラ。ジュリーもサラの振る舞いが気にいらない。そんな反発し合うふたりの間に、奇妙な友情が芽生え始めた頃、プールサイドで殺人事件が起こってしまう――。

ふむ。
フランソワ・オゾンの映画ってのは、セキズイ反射系映画(頭で考える前に反応をして観たほうがよい映画。バカ映画に多し)ではなくて、頭でよ〜く考える/考えたい心理劇系映画なんだよなあ。

そしてさらに、いろんな解釈ができること、鑑賞後に訪れる不思議な余韻が頭をぼやかせ、人から「どんな映画だった?」と訊かれても上手く答えられないところに特徴がある。

私なんかも感覚を研ぎ澄まして、たまにこんな映画を観ないと、自分が現時点でどれくらいの記憶力や想像力、洞察力(私にはこれが1番重要)、推察力、注意力がある…とゆーか、残っているのかを確認できないので、そう思えばオゾン作品は大変貴重な存在っスね。

だからと云って、彼の作品すべてが好きだとは限らない。ただ、毎回「どう解釈する?アナタの感覚レベルはどれくらい?」と挑戦状を叩き付けられてる気分になるし、本作の場合では、とくに前半――展開がミステリー仕立てになる前、サラがどんな人物であるかを、淡々と、しつこく、ときに意地悪く、かなりの時間をかけて描いている――が、さまざまな解釈ができるだろう、不思議な余韻を持つだろうエンディングのベース/ポイントとなるはずなので(じゃないとあんなに長く描写するわけがない…と鑑賞してる間ずっと思ってた)、私はあの淡々とした前半を、持ってる感覚すべて研ぎ澄まして観てしまったナリ。

(以下、多少のネタバレありなので、お気をつけ下さい)

売れっ子作家だけど、枠にはまってしまった自分の作品に満足できない、若手はどんどん台頭してくる、相談相手は思ったほど構ってくれない、でも確固たる自分のペースを築き上げていて、周りから見るとちょっと手におえない堅物女――そんな主人公女流ミステリー作家サラにC・ランプリング。

出版社社長の娘で、自由気まま、男はとっかえひっかえ、食べたまんまで片付けしない、爪はマニキュアがはがれたまんま、水が汚かろうが裸でプールに入り、そのまま何も着ないでうろうろする――そんな奔放フランス娘にL・サニエ。

人間…とゆーか女というのは不思議なもんで、ついこの前まで「この女とは相性最悪!だからキライ!」とか云ってたくせに、ちょっとでも波長が合うと、影響を受け合っちゃって、いつの間にか仲良くなってしまう――そんなことがたま〜にあったりする。突然、不思議な化学反応が起こったかのように。

一緒に生活するうちに、サラは奔放なジュリーの影響により自分を少しずつ解放していき、女性らしくなっていく。ジュリーはサラの影響により、どんどん純化され、品のないあばずれ娘から、しおらしい子供っぽい女の子になっていく――私はその過程が面白かったっスね。私にとって本作のミステリー風な展開は、いくつも出てくるだろう解釈の説明になるし、緊張感が漂って全体が引き締まるので、あったらよりいいよね、オゾンらしいし…というボーナスみたいなもの。

水の溜まったプールってなんだろう?
限られた範囲に限られた水。
海や湖とは違い、どれくらい水を入れるのか、いつ入れ替えをするのか、いつ使うのか…など、人によってコントロールが可能だ。

最初はジュリーが支配していたプール。彼女はそこをどう使うか、誰といつ入るのか、いままでどんな使い方をしていたのか――もしかしたらプールはジュリーを映したものだったのかもしれない。サラは入るまでの時間がとても長い。水が綺麗になり、ようやくその存在認め、中に入っていったサラ――フツーの女はね、信用がない相手の前ではなかなか裸になれないもんです。佐伯かよのいわく、「風呂と睡眠のために脱ぐ。男がいないから、いまのところ信用できる相手は、浴槽とベッドだけってことね」。……。

ラストやジュリーの存在をどう解釈するかに関しては、人それぞれ。「〜というラストである」だの、「映画で描かれているのは〜だ!」と断言することなど、オゾン作品ではできるだけ避けたい。なので、どう受け取ろうがいい、そのままぼや〜んと頭の中に置いとけばいい、というスタンスで観ることが多いかな。

サラが本当に書きたいもの――自らを解放/開放させることができる環境で、それがどんなものであるかを彼女に気付かせ、そして書かせるために、ジュリーは彼女の中にだけ、彼女にしか見えない存在だったのかもしれない。

あるいは、ジュリーはジョンの家庭背景を知っていて、それを利用し、たまたま別荘にやってきて、サラと出会い、彼女に影響を与え、そして影響を受け、去っていっただけなのかもしれない。

いろんな風に受け取れるよう、思わせぶりな伏線が丹念に張られているので、よ〜く感覚を働かせて観てみたい、そんな心理にさせられる作品。

オゾン作品は現実だと思って観ていても、あるとき――現実なのかまぼろしなのかがわからない、そのふたつが交錯する瞬間が突然やってきる。今回はそれがセクシャルかつ「うお!?そうくるか?」とドキっとさせるシーンなので、ビックリしちゃたよう!なんと意地がお悪いことよ!>監督

ところで。my贔屓女優サニエちゃん。今回はよく頑張って脱いだので、おっぱい女優と云われなきゃいいなあ。逆にランプリングは、必要とあれば昔からちゃんと脱ぐ人(往年作「愛の嵐」はもちろん、「ハマーアウト」ではラッシー相手に激しく絡んでました)。同じオゾン監督作「まぼろし」でも脱いでましたし…彼女の年代でヌード可能な人は少ないんだろうなあ。

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