「アメリカン・ラプソディ」
2004年10月9日
←主演は生意気だと評判のスカーレット・ヨハンソンさん(なんとまだ19歳)。「30歳以上の男じゃないとダメね」なんて云ってたくせに、現在ギレンホール弟と付き合ってる…って、姐さん、つまみ喰いっスか?…で、その彼女の苗字Johansson――「ヨハンソン」と表記されていますが、英語として1番発音が近いカタカナ表記をすると「ジョハンソン」です。日本のある記者が、インタビューで「ヨハンソンさん」と云ってしまったところ、「違うわよ!私はジョハンソンよ!」と思いっきり訂正を求められたとか。…今後、彼女に会われるご予定の日本人の方。「ジョハンソンさん」と云わないと、彼女怒っちゃうかもしれませんよ。ご注意下さいませ。
DVDジャケットは↑とは違います(なんでか画像が出ない)。
↓正しくはこれ(販売元公式サイト)
http://c10lkxro.securesites.net/vhs/200408/200408_02ame/
「アメリカン・ラプソディー」An American Rhapsody(2001・米)
IMDb→http://imdb.com/title/tt0221799/
監督:エヴァ・ガルドス
脚本:エヴァ・ガルドス
出演:スカーレット・ヨハンソン、ナスターシャ・キンスキー、トニー・ゴールドウィン、ラファエラ・バンサギ、他
ストーリー:
1950年代。自由を求めてハンガリーからアメリカへ亡命しようと、ピーター(T・ゴールドウィン)と妻マルジット(N・キンスキー)は計画を立てる。しかし、産まれたばかりの娘スーザンはやむなく残され、里親の元で育てられることになる。その6年後、両親によってアメリカへと呼び寄せられるスーザン。そして月日が流れ、高校生になったスーザン(S・ヨハンソン)は、家族の意味と己のアイデンティティについて、里親と本当の両親、ハンガリーとアメリカの狭間で悩み、その答えを探そうとハンガリーへと旅立つことにするが――。
我が愛しのナスターシャが――スカーレット・ヨハンソンの母親となっ!?
……がーん。
嗚呼、昭和は遠くなりにけり…。←ちょっと違う
というわけで、のっけからかなりショックを受けてしまった本作ですが、ナスターシャ・キンスキーの変わらぬ美しさにうっとりさせられましたよ。ビバ!我が永遠の憧れの人よ!
■参考
↓「NASTASSJA KINSKI JP」(日本のファンサイト…リンク自由)
http://www.nastassja-kinski.jp/index.html
(素晴らしいサイトです)
日本未公開作でビデオリリースされたばかりの本作。ここ最近活躍が著しい、スカーレット・ヨハンソンを主演にしたドラマで、監督の実話がベースになっているとか(つまりスーザン=監督)。
1950年代に亡命した家族の物語の話であるものの、両国の狭間で揺れるスーザンの、家族の中に溶け込めない宙ぶらりんな自分、心の葛藤、アイデンティティの模索というものは、なにも亡命者だけでなく…実は意外と普遍的で、現代人でもふと感じる悩みなんじゃないかな、と思っちまいましたよ。
スカーレット・ヨハンソンは、米国人ながらたいへんヨーロッパな雰囲気のある(「ヨハンソン」と呼びたくなるのも頷ける)若手女優で、その品が良く、意思の強さを感じさせる顔立ちは、どこか儚さも併せ持っていて、往年のナスターシャ・キンスキーにソックリ(顔は似てません)。演技派をそろえてあるし、こうなるとキャスティングの勝利ですね。
亡命時のハンガリーはモノクロ映画のようなクラシカルな映像で、命をかけて逃げるシーンからカラーになり…という演出は、昔のヨーロッパ映画な雰囲気を醸し出していてGood。東欧的な暗さはそれほど強調されず、舞台が米国へと移っても、仰々しいまでのアメリカ〜ンな明るさもそれほど押し出してはいない。フツーなら、このギャップをとことん描写したりするもんですが、本作はそれほどなくて、なかなか新鮮でした。
シリアスな題材でもそれほど重さを感じさせないのは、ドロドロな家族崩壊を描いているわけじゃないからで、ラストでは希望がちゃんと見えてくるし、感動ドラマとして上手く仕上げてるなと。ただ、ちとTVムービーっぽい印象は否めないか。
自己、そして家族のアイデンティティ崩壊・喪失の恐れ――それが古今東西・国別問わず普遍的なものであり、自分はそれらに対して、いったいどうだった/どうなんだろうかと、観終わった後、つい考えさせられた作品。
DVDジャケットは↑とは違います(なんでか画像が出ない)。
↓正しくはこれ(販売元公式サイト)
http://c10lkxro.securesites.net/vhs/200408/200408_02ame/
「アメリカン・ラプソディー」An American Rhapsody(2001・米)
IMDb→http://imdb.com/title/tt0221799/
監督:エヴァ・ガルドス
脚本:エヴァ・ガルドス
出演:スカーレット・ヨハンソン、ナスターシャ・キンスキー、トニー・ゴールドウィン、ラファエラ・バンサギ、他
ストーリー:
1950年代。自由を求めてハンガリーからアメリカへ亡命しようと、ピーター(T・ゴールドウィン)と妻マルジット(N・キンスキー)は計画を立てる。しかし、産まれたばかりの娘スーザンはやむなく残され、里親の元で育てられることになる。その6年後、両親によってアメリカへと呼び寄せられるスーザン。そして月日が流れ、高校生になったスーザン(S・ヨハンソン)は、家族の意味と己のアイデンティティについて、里親と本当の両親、ハンガリーとアメリカの狭間で悩み、その答えを探そうとハンガリーへと旅立つことにするが――。
我が愛しのナスターシャが――スカーレット・ヨハンソンの母親となっ!?
……がーん。
嗚呼、昭和は遠くなりにけり…。←ちょっと違う
というわけで、のっけからかなりショックを受けてしまった本作ですが、ナスターシャ・キンスキーの変わらぬ美しさにうっとりさせられましたよ。ビバ!我が永遠の憧れの人よ!
■参考
↓「NASTASSJA KINSKI JP」(日本のファンサイト…リンク自由)
http://www.nastassja-kinski.jp/index.html
(素晴らしいサイトです)
日本未公開作でビデオリリースされたばかりの本作。ここ最近活躍が著しい、スカーレット・ヨハンソンを主演にしたドラマで、監督の実話がベースになっているとか(つまりスーザン=監督)。
1950年代に亡命した家族の物語の話であるものの、両国の狭間で揺れるスーザンの、家族の中に溶け込めない宙ぶらりんな自分、心の葛藤、アイデンティティの模索というものは、なにも亡命者だけでなく…実は意外と普遍的で、現代人でもふと感じる悩みなんじゃないかな、と思っちまいましたよ。
スカーレット・ヨハンソンは、米国人ながらたいへんヨーロッパな雰囲気のある(「ヨハンソン」と呼びたくなるのも頷ける)若手女優で、その品が良く、意思の強さを感じさせる顔立ちは、どこか儚さも併せ持っていて、往年のナスターシャ・キンスキーにソックリ(顔は似てません)。演技派をそろえてあるし、こうなるとキャスティングの勝利ですね。
亡命時のハンガリーはモノクロ映画のようなクラシカルな映像で、命をかけて逃げるシーンからカラーになり…という演出は、昔のヨーロッパ映画な雰囲気を醸し出していてGood。東欧的な暗さはそれほど強調されず、舞台が米国へと移っても、仰々しいまでのアメリカ〜ンな明るさもそれほど押し出してはいない。フツーなら、このギャップをとことん描写したりするもんですが、本作はそれほどなくて、なかなか新鮮でした。
シリアスな題材でもそれほど重さを感じさせないのは、ドロドロな家族崩壊を描いているわけじゃないからで、ラストでは希望がちゃんと見えてくるし、感動ドラマとして上手く仕上げてるなと。ただ、ちとTVムービーっぽい印象は否めないか。
自己、そして家族のアイデンティティ崩壊・喪失の恐れ――それが古今東西・国別問わず普遍的なものであり、自分はそれらに対して、いったいどうだった/どうなんだろうかと、観終わった後、つい考えさせられた作品。
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