「エターナル・サンシャイン」
2005年3月24日
←実は私――副業がらみで昨年「エターナル・サンシャイン」を鑑賞、手元には貰ったUS版DVDがあったりします(いまナイ)。でもやっぱりでっかいスクリーンで観たいなと思い、公開初日に某シネコンまで観に行ってきました。シネコンに到着後、しばらくロビーで時間をつぶしていたのですが、試写会で本作を観た人の感想が貼り出されているのを発見しまして、どれどれと読んでみたところ――「★★…むずかしかった(21歳女性)」「★…わからなかった(23歳女性)」「★★…こんらんした(25歳女性)」「★…予想していたものと違った(20歳女性)」(以上、うろ覚えだけどこんな感じの感想)――と、どうやらお若い女性のみなさんにはかなりツラかった模様。まあたしかにスパイラル度が高く、ロマンスものにしてはSF風で一見難解、時間軸は見事にブッた斬られ、ジム・キャリーはいつものようにヘンな顔してドタバタしない映画ですよ――でもねこの映画ってね……っと、感想は本編で語るか。
■「エターナル・サンシャイン」Eternal Sunshine of the Spotless Mind(2004・米)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0338013/
日本公式サイト→http://eternalsunshine.gaga.ne.jp/
監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
出演:ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルスティン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド、トム・ウィルキンソン、他
上映時間:107分
ストーリー:(公式サイトより引用)
恋愛に関する記憶や思い出ってのは実に厄介なもので、忘れたい/忘れたはずなのに、日常生活の中のふとしたきっかけで突然、連鎖的に思い出す。
たとえば。
いまはもう別の人と付き合ってる自分、でも彼が煙草を取り出して吸う姿を見た瞬間、その昔大好きで長く付き合ってたあの人は、マイルドセブンじゃなくてマルボロを吸ってた、灰皿だって目の前にいる彼のような汚い使い方はしなかった、そういえば指も男の人にしては綺麗で長かったし、冬になるといつも好んで着ていた黒のVネックセーターはとてもよく似合ってた、でもいつだったか、大ゲンカして口もきかずに数日過ごしたな――ああ、私ったらなんであの人と別れてしまったんだっけ?――など、ぐるぐると思い出し、つい意識を遠くに飛ばしてしまう。
スウィートであると同時にビターでもある記憶。
そういった記憶を突然消してしまった女・クレメンタイン。
俺だって消してやるさとばかりに門を叩いてみたものの、そのデリート作業の真っ最中、やはり彼女を失いたくない、スウィートでビターな記憶を守りたいと思い直し、夢と現実の狭間で、もがきにもがく男・ジョエル。
男を振る場合、女はそれを(いろいろご意見はあるでしょうが)腹で決める。でも男はそんな女を頭で理解しようとする…というか、理解できると思ってる(それがそもそも大間違いだとゆーのに)奴が多いらしく、本作でもジム・キャリー演じるジョエルは、ケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインに振り回される。
ジョエルが脳内で繰り広げるクレメンタインとのスウィートでビターな記憶は、とくに劇的なものではなく、ごくありふれた、誰もが持ってるだろう最大公約数的なエピソードばかりで、それをひとつひとつ消されていく…というか、Deleteされていくクレメンタインを必死に守ろうとするジョエルの姿がなんともせつない。いつもヘンな顔を求められるジム・キャリーが演じてるだけに、その悲痛感はさらに倍で、これが最初の予定通りにニコラス・ケイジが配役されてたら、本作のどことなくファンタジーでSFっぽい雰囲気、現実と記憶の狭間で揺れる感覚は完全に薄れてだろうな(ニックだとせつなさと悲痛感が現実味を帯び過ぎるし、またフツーでつまらない男であるはずのジョエルが、オタクな男に見えてしまいそうだし)と、つくづくジムでよかったと思うことしきり。
考えてみれば、本作に出演してきる俳優はSFやファンタジーにフっと溶け込む感のある人が多く、ジムは「トゥルーマンショー」、ケイトは「乙女の祈り」「ネバーランド」、キルスティンは「スパイダーマン」、イライジャは「ロード・オブ・ザ・リング」――ああ、だから現実的なのにどこか浮世離れしているという男女のロマンスを、画的にも無理なく相反させることなく展開できるんだ、そう思えばアッパレなキャスティングだと、これまた感心。
多くの人が混乱したのは、ジョエルが記憶を守ろうと右往左往する場所がたいへん独創的な上、時間軸ぶった斬りで断片的に展開されるエピソードとその映像を見るだけで精一杯……つまり映画に置いてけぼりを食らったからで、これがもし、自分の脳みそで理解不能な失恋をしてジタバタしたとか、数多くさまざまな恋愛をしたとか、記憶が恋愛と密接に関係し、それらが時間とともにどんなケミストリーを引き起こすのかをよく知ってる人が観れば、この映画がいったいなにを描こうとしているのか、頭で理解するんじゃなくて感覚的にわかりそう。そして、時間軸ぶった斬りで断片的にエピソードが展開されるのは、ジョエルが現実と夢の間に記憶を挟んでいるからで…基本的に夢って時間軸合わないし、断片的なものでしょ?
たしかにカウフマンの脚本な独創的ですよ、でも――ジョエルが記憶を守ろうとするその過程を観ていて、忘れたはずの自分のスウィートでビターな記憶までもが蘇り、ジョエルのせつなさにシンクロしてしまう――それがこの映画のすごいところなのでは?…そしてすべてを忘れてしまった後、男の失恋で終わったはずのロマンスに再生し得るチャンスはあるのかないのか――クレメンタインがジョエルの脳内で云った印象的な言葉がスパイスとなり、これがまたせつなくさせる。
結局ふたりがどうなるのか――すべてを描くのではなく、観る側の記憶から予想させるところも見事かなと。この感覚がわからないと、ラストはつまんなくて物足りなく感じるでしょうね。わかるからエライとかスゴイという話ではないので。念のため。
たしかに観る人を選びそうだし、万人向けじゃないとは思うけれど――記憶と恋愛を巧みに扱った、せつなくなるために恋がしたい/そんな恋をしてきた人にはツボな作品。私は完全に参りました。白旗、降参。
なお、本作は難しすぎてわかんない、でも消えていく記憶のせつなさを味わいたいという方には、ウォーレン・ベイティ主演「天国から来たチャンピオン」という映画をオススメします。
■「エターナル・サンシャイン」Eternal Sunshine of the Spotless Mind(2004・米)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0338013/
日本公式サイト→http://eternalsunshine.gaga.ne.jp/
監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
出演:ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルスティン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド、トム・ウィルキンソン、他
上映時間:107分
ストーリー:(公式サイトより引用)
バレンタインデー目前のある日。ジョエル(ジム・キャリー)は、不思議な手紙を受けとる。「クレメンタインはジョエルの記憶を全て消し去りました。今後、彼女の過去について絶対触れないようにお願いします。ラクーナ社」。クレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)は、ジョエルが最近喧嘩別れしてしまった恋人。仲直りしようと思っていた矢先に、彼女が自分との記憶を消去してしまったことを知りショックを受けた彼は、自らもクレメンタインとの波乱に満ちた日々を忘れようと、記憶除去を専門とするラクーナ医院の門を叩く。
恋愛に関する記憶や思い出ってのは実に厄介なもので、忘れたい/忘れたはずなのに、日常生活の中のふとしたきっかけで突然、連鎖的に思い出す。
たとえば。
いまはもう別の人と付き合ってる自分、でも彼が煙草を取り出して吸う姿を見た瞬間、その昔大好きで長く付き合ってたあの人は、マイルドセブンじゃなくてマルボロを吸ってた、灰皿だって目の前にいる彼のような汚い使い方はしなかった、そういえば指も男の人にしては綺麗で長かったし、冬になるといつも好んで着ていた黒のVネックセーターはとてもよく似合ってた、でもいつだったか、大ゲンカして口もきかずに数日過ごしたな――ああ、私ったらなんであの人と別れてしまったんだっけ?――など、ぐるぐると思い出し、つい意識を遠くに飛ばしてしまう。
スウィートであると同時にビターでもある記憶。
そういった記憶を突然消してしまった女・クレメンタイン。
俺だって消してやるさとばかりに門を叩いてみたものの、そのデリート作業の真っ最中、やはり彼女を失いたくない、スウィートでビターな記憶を守りたいと思い直し、夢と現実の狭間で、もがきにもがく男・ジョエル。
男を振る場合、女はそれを(いろいろご意見はあるでしょうが)腹で決める。でも男はそんな女を頭で理解しようとする…というか、理解できると思ってる(それがそもそも大間違いだとゆーのに)奴が多いらしく、本作でもジム・キャリー演じるジョエルは、ケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインに振り回される。
ジョエルが脳内で繰り広げるクレメンタインとのスウィートでビターな記憶は、とくに劇的なものではなく、ごくありふれた、誰もが持ってるだろう最大公約数的なエピソードばかりで、それをひとつひとつ消されていく…というか、Deleteされていくクレメンタインを必死に守ろうとするジョエルの姿がなんともせつない。いつもヘンな顔を求められるジム・キャリーが演じてるだけに、その悲痛感はさらに倍で、これが最初の予定通りにニコラス・ケイジが配役されてたら、本作のどことなくファンタジーでSFっぽい雰囲気、現実と記憶の狭間で揺れる感覚は完全に薄れてだろうな(ニックだとせつなさと悲痛感が現実味を帯び過ぎるし、またフツーでつまらない男であるはずのジョエルが、オタクな男に見えてしまいそうだし)と、つくづくジムでよかったと思うことしきり。
考えてみれば、本作に出演してきる俳優はSFやファンタジーにフっと溶け込む感のある人が多く、ジムは「トゥルーマンショー」、ケイトは「乙女の祈り」「ネバーランド」、キルスティンは「スパイダーマン」、イライジャは「ロード・オブ・ザ・リング」――ああ、だから現実的なのにどこか浮世離れしているという男女のロマンスを、画的にも無理なく相反させることなく展開できるんだ、そう思えばアッパレなキャスティングだと、これまた感心。
多くの人が混乱したのは、ジョエルが記憶を守ろうと右往左往する場所がたいへん独創的な上、時間軸ぶった斬りで断片的に展開されるエピソードとその映像を見るだけで精一杯……つまり映画に置いてけぼりを食らったからで、これがもし、自分の脳みそで理解不能な失恋をしてジタバタしたとか、数多くさまざまな恋愛をしたとか、記憶が恋愛と密接に関係し、それらが時間とともにどんなケミストリーを引き起こすのかをよく知ってる人が観れば、この映画がいったいなにを描こうとしているのか、頭で理解するんじゃなくて感覚的にわかりそう。そして、時間軸ぶった斬りで断片的にエピソードが展開されるのは、ジョエルが現実と夢の間に記憶を挟んでいるからで…基本的に夢って時間軸合わないし、断片的なものでしょ?
たしかにカウフマンの脚本な独創的ですよ、でも――ジョエルが記憶を守ろうとするその過程を観ていて、忘れたはずの自分のスウィートでビターな記憶までもが蘇り、ジョエルのせつなさにシンクロしてしまう――それがこの映画のすごいところなのでは?…そしてすべてを忘れてしまった後、男の失恋で終わったはずのロマンスに再生し得るチャンスはあるのかないのか――クレメンタインがジョエルの脳内で云った印象的な言葉がスパイスとなり、これがまたせつなくさせる。
結局ふたりがどうなるのか――すべてを描くのではなく、観る側の記憶から予想させるところも見事かなと。この感覚がわからないと、ラストはつまんなくて物足りなく感じるでしょうね。わかるからエライとかスゴイという話ではないので。念のため。
たしかに観る人を選びそうだし、万人向けじゃないとは思うけれど――記憶と恋愛を巧みに扱った、せつなくなるために恋がしたい/そんな恋をしてきた人にはツボな作品。私は完全に参りました。白旗、降参。
なお、本作は難しすぎてわかんない、でも消えていく記憶のせつなさを味わいたいという方には、ウォーレン・ベイティ主演「天国から来たチャンピオン」という映画をオススメします。
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