■『死ぬまで純愛』 鹿住 槙
ISBN:4537141174 挿絵:津寺里可子 日本文芸社 2008/03 ¥630
湖で事故にあった高校生の認は、目覚めると女の子になっていた。密かに憧れていた親友、高志の彼女・楡崎にだ。しかも元に戻る方法はないという――。そんな事情を知っても、高志は親友として接してくれていた…はずだったのに。ある日突然、「お前は俺の彼女なんだぜ」と、強引に唇を奪われ処女喪失させられてしまう!?混乱した認は高志を避けるようになるが、ある時、自分の体がまだ生きていて、その事実を高志が隠していたことを知ってしまい!?恋と友情のはざまで揺れる学園センチメンタルラブついに登場!

10代の頃の自分はいったいどんなことを考え、なにに感動し、笑い、怒り、そして泣いたのか。学校の友だちと交わした、たぶん他愛もなかっただろう話題は、なんだったのか――存外遠くなってしまった昔日の日々に、ふと思いを馳せるときがある。

私の好きな1冊『ぼくは勉強ができない』のあとがきで、作者の山田詠美が、「私は、同時代性というものを信じない。時代のまっただなかにいる者に、その時代を読み取ることは難しい。叙情は常に遅れてやって来た客観性の中に存在するし、自分の内なる倫理は過去の積木の隙間に潜むものではないだろうか。私にとっての高校時代は、もう既に、はるか昔のことである」と書いていて、それを読んだとき、まったく以ってその通り、なんて至極もっともなことだと思った。

続けて山田詠美は、「進歩しなくてもいい領域を知るのが大人になること」であり、それを『ぼくは勉強ができない』で書きたかったと書いていて、ああ、なるほど、たしかに『ぼくは〜』はそんな話、じゃあ、たった10数年しか生きていない高校生の、大人の視点でみれば青くてつたないのだけれども、本人たちはいたって本気、狭くて浅いそれがすべての領域だったという、テンポラリーに「切った」話はないだろうか、と思っていたら、日本文芸社からズバリそれをついた、鹿住槙の『死ぬまで純愛』が出た。一般小説とBLを比較するな、と云われるかもしれないが、私はいたって真面目にそう思っている。

!以下、盛大にネタバレ注意報!

「僕があいつであいつが僕で」、いわゆる人格・身体入れ替わりモノ。ポイントは、主人公の認が入れ替わるのは男の子ではなく女の子、しかも親友で憧れを抱いていた同級生・高志の彼女という設定。なぜ入れ替わったのか。湖で溺れたふたりのどちらかを助けてやろうと云われ(つまりどちらかは死ぬことになる)、高志がとっさに望んだのは「心は認、体は楡崎(彼女)」、そのため、目覚めてみれば認は女の子になっていたという、入れ替わりの理由付けに、寓話「金の斧・銀の斧」を引用した話である。

認の一人称でストーリーが進行するため、高志が認をどう思っているのかは、わからないことになっているが(しかも高志は彼女持ちである)、「どちらかを選べない」と云いながら「心は認、体は楡崎(彼女)」と願いを乞うた時点で、高志は認を好きなのだと読み手は気がつくだろう。湖の精(?)を信じて願ったあたりは子供っぽく純粋なのだが、のちに高志も告白するように、「認が女になってしまえば、男同士というハードルは乗り越えられる」と咄嗟に打算が働いたわけで、彼女なのに心を否定された楡崎と、男なのに女を強いられることになる認には、たいへん残酷な仕打ちである。

あらすじを読むと、高志が残酷で鬼畜な少年であり、認をひどい目に遭わせるだけの、黒さと痛さに満ちた青春残酷ストーリーのように思えるが、そうではない。たしかに、混乱する認に高志はあるひどい行為をするし、その言動も身勝手なものではある。がしかし、認は認でやられっぱなしなわけではなく、真剣に楡崎の死について考え、高志に問い、10代で逝ってしまった彼女の存在意義を語り、高志は高志で「自分が好きなのは、残酷な目に遭わせて手に入れた認なのか、それでいいのか」を悩み、認が元に戻る方法を知りながら、戻ったときに彼を失うかもしれない怯えとの葛藤に苦しむ。

楡崎の死には、入れ替り以外のある真実が隠されている。それを知りながら、知らないふりをしていたふたりの罪。死に慣れていない高校生にとって、クラスメイトの死はなおさらに衝撃だったはず。がむしゃらに何かを求めること自体はいい。ただそれをすることによって、誰かを深く大きく傷つける可能性があるということを、高志は思い知る。そして認が最後に選択したのは「高志のそばにいること」、つまり「楡崎が一番嫌がること」。

認が高志に云う、「一生、純愛しよう」という言葉。

綺麗ごとだ、まだ10数年しか生きていないくせに、バトルフィールドという社会に出て、さまざまな風を受けてみろよ、そんな甘ったるいこというな、一生だなんてできるわけないだろう?…違う、そうじゃない。「純愛ができるかできないか」という大人の視点や意見はどうでもいい、あの日あの時あの場所で、彼らがそう思ったこと――それが重要なのである。当時の彼らにとって、それがすべての領域、そして世界だったのだから。

授業中にこっそりノートの端に書いた、好きな歌の詞や誰にも云えなかった本音、クラスの誰と誰が付き合って別れたのかという噂話、他愛もないことに感動したり、なにかに絶望して落ち込み、明日で終わりかとまで思い込んだこと、簡単に「死ぬまで」「一生」と口に出して云えた幼い自分――いまとなっては、すべて遠い日々のこと。

『死ぬまで純愛』は、1991年「JUNE」に掲載された作品なので、タイトルを聞いて、「懐かしい!」と思う方もおられるだろう。他雑誌掲載の1編と、書き下ろしを加えた短編集という形で、今回初文庫化となった。日本文芸社から…というより、編集はその下請けである秋水社になるのだが、あとがきによると、JUNE時代から担当者は同じだそうである。

私は、なぜその担当者が、当時からこの作品にこだわったのか、わかるような気がする(私が担当者でも絶対にこだわったと思う)。誤解を承知で書くと、『死ぬまで〜』のような、萌えを基準としない、青春を瑞々しいまま鋭角に切り取ったBL小説は、最近あまり見られない。JUNE時代がどうであったかよく覚えていない。それでも私はこの作品が鹿住槙のベストだと思うし、同世代以上の方には、そんな私の気持ちを理解して頂けるだろうと信じている。

悪くはないが会話が少し古臭く、改行の嵐で、三点リーダ(「…」)とダッシュ(「―」)花盛りな文章はニガテ、記号で感情表現は正直カンベンして欲しいと、私には読みづらくて仕方がなかった文章も、これはこれでいいかなと、今になって思えるようになった。そして、今回の文庫化にいたって『死ぬまで〜』の続編を書かず、そっとしておくことにした鹿住センセは、英断を下されたと思う。

他の収録作も面白い。とくに三本目の書き下ろし『君の知らない二人の秘密』は、ラストがちょっと映画「天国から来たチャンピオン」風で、せつなくなる。よりBLらしさがあるので、表題作にピンとこなかった方にはこちらのほうがオススメ、安心して読める作品に仕上がっていると思う。

評価:★★★★★(くすんだ青さがなんと瑞々しく、目にしみることよ!ブリリアント!)
津寺里可子さんが挿絵を付けられていて、ビックリした。この方も、昨年のシバタフミアキさん同様「同じフィールドに立ってはいるが、ポジション違いのために遠い人」。同じ秋田書店(プリンセス)系でも、碧ゆかこさんより私は好き。津寺さんのお描きになる女の子は、少女マンガの王道といえる愛らしさがあり、男の子は大人っぽく凛々しく麗しい。セピア調のくすんだ水色を背景にした表紙カバー絵は、作品イメージにピッタリ。画像だと、カラー絵での髪の美しさと質感(陰影が素晴らしい!)がわかりにくいので、気になる方は、ぜひお近くの書店でお手に取ってご確認下さい。ちなみに秋林、「花瓶に一輪挿しの椿の花が、萼(がく)からポトリと落ちた瞬間」を描いた口絵カラーに、「これ…BLのカラー口絵か!?」と、たまげてしまった。

それと。収録作「スクラッチノイズ」の挿絵を雑誌掲載時に担当された桜海さんが、2005年にご病気で亡くなられたことを、遅ればせながら、あとがきで知った。たしか桜海さんは、鹿住さんとご一緒に活動されていたはず。志半ばで逝く友を葬らねばならなかった鹿住さんのご心痛を思うと、どう言葉で表せばいいのか…やるせない気持ちで一杯である。せつない。

ZERO STARS … 論外/問題外作
★ … お好きな人はどうぞ。
★★ … つまらない。
★★★ … 退屈しない。なかなか面白い。
★★★★ … とても面白い。佳作/秀作。エクセレント。
★★★★★ … 天晴れ。傑作。ブリリアント。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索