知らなかった!B’zトリビアランキング
http://news.nicovideo.jp/watch/nw647128

デビュー時からのファンとして、記憶と体験とで補足。

1位.デビュー間もない頃、コンサートに人を呼ぶ為にMC中にコントをやっていた

「コンサートに人を呼ぶため」ってのは大げさ。20分近く長々と寸劇のようなコントをサポメンまで巻き込んでやってたのは、92年のRUNツアーくらいまでかしら。92年ってデビュー間もない頃なの?(→個人的にはバッコミくらいかなと思ってる)…ちなみに現在は、コントとまではいかないけど、なんかバカやってます。

2.コーラスに大黒摩季を起用していた時期がある

あります。シンパイナイモンダイナイナイナイ~とか。松ちゃんソロでもコーラスしてましたし。ついでにコーラスとして彼らとCX「ミュージックフェア」(91年だったか92年)出演しています。そのとき坪倉唯子さんと近藤房之助さんも一緒。持ち曲だけでなく、ボブ・ディランの「Knockin’ on heaven’s door」をカバーしたガンズのカバー(わかりづらい)、ジョン・レノン曲なども。

3.稲葉浩志は旺文社全国高2模試の数学のテストで全国3位になったことがある

英語じゃなく?(よく覚えてない…)
高校入試のときに数学1番だったっていう話は聞いたことあり。

4位 60.3ユニット名は、当初は「A~Zのすべてをカバーする」という意味を込めて、「A’z」が案として挙がっていたが、次のアルファベットのBを使って、「B’z」にした

「えーす」という読み。ボーカルとギターのふたりだから「ダブルエース」っていう意味でいいかな…とも思ったらしい。でも1980年代後半はHIVショックの時代、「えいず」とも読めるということでボツ(ラジオ出演の際にそう話してた)。

5位 現在は左稲葉浩志、右松本孝弘の並びだが昔は逆だった

はい。90年代半ば?くらいから突然変わりました。

6位 大ヒット曲『ultra soul』のタイトルは『Iron Soul』の可能性もあった

なんか他にも候補はあって…そのうちのひとつ。「うたばん」で歌詞の推敲ノートと紙切れが公表され、そこには「iron」とかありました→持ちdvdで確認。

6位 デビュー間もない頃、TVの音楽番組で山田邦子と『別れても好きな人』をデュエットしたことがある

はい。ギターは松本さんで。ついでにジョン・レノンの曲もサビの部分はデュエットになってましたね。ASKAの曲もやろうとしたけど、歌本と邦子さんのキーに相違があってできず(→持ちビデオで確認)。これも1同様、90年代初めは「デビュー間もない頃」なの?

8位 稲葉浩志は小学・高校数学教員免許を持っているが、中学の免許は「長
髪を切れ」と注意されたことが理由で実習をやめた為、持っていない

はい。往年のヒデキみたいな髪型でした。

9位 稲葉浩志の肺活量は8000ccで、歌声を乱さずにライブ中歌いながら走ることができる

具体的な肺活量は知らないけど「歌声を乱さず~」はホメ過ぎ。ただし、ゼーハーゼーハーになっているところは見たことはありません。

10位 稲葉浩志の本名は「稲葉浩志(いなばひろし)」だが、 松本孝弘が「松本孝弘(まつもとたかひろ)」で両方「ひろ」になるので、 稲葉浩志が読み方を変えた

あだ名は「ヘロシ」。それと「コーシ」の発音と響きのほうがガイジンっぽいですしね。

11位 CDの裏ジャケットや宣伝ポスター用などの為に、コスプレを何度かさせられている

すごかったですよ、98年のプレジャーのときとか。ちなみに松ちゃんのお気に入りは「ジミヘン」でした。イナ氏は…忘れた。個人的に「明石さんのマネ」がツボでした。

12位 稲葉浩志はTUBEのコーラスをやるも、ボツにされた事がある

ビーイング系では他にもあったような?
ただ前田さんのソロアルバムに、作曲(作詞ではない)2作品ほど提供し、採用されています。そのうちの1曲はアルバムタイトル。

13位 デビュー間もない頃、TVの音楽番組でチェッカーズの『涙のリクエスト』を歌ったことがある

はい。「夜のヒットスタジオ」のオープニングで。フミヤよりもキーがかなり高い状態で始まり、ダイジョブかな?と心配しました…が、やっぱり一番高いところではキツそうでした。歌えていたけど。

14位 二人共英語が堪能であり、外国人のサポートメンバーと通訳なしで会話をしている

イナ氏はね。

14位 デビュー間もない初期の頃はダンスミュージックが多かった為、稲葉浩志はダンスを強制的に習わされていた

NYあたりなどで。
その名残りが「Easy come, Easy go」のサビの振りにあります。

16位 ライブで洋楽のカバーをする、「Z’b(ズービ)」というバンド名で活動していた時期がある

はい。メンバーは綾小路幹彦・アミーゴコマシエンジェルJr、チャッキーこけし、マンボウカメ、はだか一貫。神戸三ノ宮「チキンジョージ」、大宮「フリークス」で見ました。ちなみに「IN THE LIFE」のMCコントコーナーに「Z’b」が出てきて、東京公演(渋谷公会堂)では「HERE GO AGAIN」(ホワイトスネイク)歌ってくれました。地方ではコントだけがほとんど、カバー披露まではしなかったと思います。

17位 稲葉浩志のカラオケの十八番は、小林幸子の『おもいで酒』

その時代によって変わるのでは?それっていつ?

17位 松本孝弘はSPEEDのファン(シークレットライブのタイトルに「Go! Go! Heaven」を引用したほど)

はい。90年代半ば、曲作りの合間によく「Go! Go! Heaven」のフレーズをギターで弾いてたとか(→オフィシャルDVDで発言を確認)

19位 稲葉浩志が教員免許を取った理由は、「金八先生のような先生になりたかったから」

中学の先生が素晴らしい方だったからだそうですよ(たぶん表向き)

20位 松本孝弘の血液型はO型だが、30歳を超えて人間ドックへ行くまで自身はA型だと思い込んでいた

はい。真剣に。「俺ってA型人間だから~」としょっちゅー云ってたのに、人間ドックで判明し、昔の発言をイナ氏に冷やかされていました。

21位 ライブ終了後、ファンとメンバーで「おつかれー!」というお決まりの挨拶がある

国内では。でもいっちゃん最初のツアーではなかったです、たぶん。そして北米公演でもなかった…けど、近年のはわからない。

22位 短パン時代は実は数年だけである

そーなんです、90年代半ばくらいまで。なので2008年のときに大騒ぎしたのです。

22位 稲葉浩志は故・勝新太郎とプライベートで交流があり、ライブに来てもらったりなど親しくしていた

帽子とBUZZ丼。

24位 稲葉浩志の子どもの頃のあだ名は「へロシ」

あ、ここに出てきたか。

25位 稲葉浩志が女の子にもてようと思って試したことは、「ヌンチャク」

ブルース・リーの時代ですから。

26位 “ビーズ”の正しい発音は“ビー”の方にイントネーションがくる発音

そうです。「ミュージック・ジャーナル」だったかタイトルうろ覚え、TVの音楽番組で、司会の古館一郎と田中律子に対し、そうイナ氏本人が云っていました。でも「絶対にその発音でなければならない」というほどのこだわりはないみたい。

27位 結成時には「一緒にバンドをやろう!」という意思表明をしないままデビューの話が進んだ

はい。で、セッションしてアンプが壊れて「ま、いっか」。

28位 デビュー前に二人が初めて会ってセッションした曲は ビートルズの『LET IT BE』と『OH! DARLING』

はい。イナ氏のデモテープ「HONESTY」(ビリー・ジョエル)を聞き、松ちゃんが「会ってセッションしてみようか」となったそうです。で、

ちなみにセッションした曲は、2008年に披露してくれました。

29位 稲葉浩志はプロレス好きで、もし参戦するならリングネームを「キリングマシーン・パンテ・ラ・コウシ」にするつもりらしい

ずいぶん昔の話のような?
ちなみにB’z初めての「オールナイトニッポン」で、ゲスト(録音で)は森高千里のほか、イナ氏がお好きなプロレスラーでしたね、たしか(誰だったけ~?録音テープあるけど、聞けない)。

30位 稲葉浩志の両親は岡山の「イナバ化粧品店」を経営しており、グッズや子どもの頃のアルバム等が展示されている為、ファンの聖地になっている

一時期ほどではないと思いますが、観光地です。最寄駅は「東津山」。

31位 ライブの定番人気曲の中に、パラパラのような振り付けがついている曲がある(『恋心』など)

恋心、native dance、 wonderfull oppotunityあたり、古い曲がファンの間では知られてるかな? 最近だと 「MVP」でしょーか。

32位 松本孝弘の出身校は「錦城高校」で、著名な卒業生の一人に所ジョージがいる

はい。

33位 稲葉浩志はライブ前には毎回必ず「ライブが失敗する悪夢」を見る

今もそうかはわかりませんが、きっちり見るそうです。「くつがない」とか。

34位 松本孝弘はB’z結成前、TM NETWORKのサポートメンバーとして参加していた

木根さんといいコンビでした。

35位 松本孝弘は歌手としてソロデビューしている

はい。個人的には98年ツアーで披露された「いてもうたるで」を聞きたい!
なんとか音源化プリーズ!

♪あいわすぼーん いん おーさか~♪ ♪しじんまんまん いえーい♪

36位 FIFA WORLD CUP KOREA/JAPAN OFFICIAL CONCERTにて、エアロスミス側からの指名で共演が実現し、セッションを行った

はい。B’z公演→エアロ公演→ラストふたりが出てきてセッションという形だったような。エアロ公演のとき「What It Takes」がセットリストにあり、「げ!マジで??」となりました…。(→NHK…BSだったかも?で放送有)

37位 稲葉浩志はジャニーズのスペシャルユニット「J-FRIENDS」のシングル『Next 100 Years』の日本語訳を担当し、デモ音源として稲葉がレコーディングしたバージョンが存在している

してます。聞いたことあります。

38位 シングルCDにおける2曲目以降の楽曲は「カップリング」「c/w」と表記せず、1曲目を「1st beat(ファースト・ビート)」、2曲目を「2nd beat(セカンド・ビート)」としている

はい。

39位 稲葉浩志はミュージックステーションに出演した際、トークは苦手という意味で「早く終えてしまいたい」と発言した事がある

「早く家に帰りたさそうな顔をしている」と会報にありあした。

40位 稲葉浩志はB’zとしての歌手活動以前、端整なルックスから事務所の斡旋で、モデルの仕事をしていたことがある

はい。新聞チラシに載るようなやつじゃなかったかしら?

41位 ライブの一番最初のMCは「B’zのLIVE-GYMにようこそ~~~~!!!!!」という毎回お決まりの言葉から始まる

最初の頃はシャウトではありませんでした。いつの間にかシャウト系に。

41位 稲葉浩志の地元・岡山県津山市には、稲葉浩志ゆかりの地を巡れる「稲葉浩志君の思い出ロードマップ」が存在する

あります。

43位 ライブツアータイトルは、一貫して「LIVE-GYM」と銘打っている

イベント形式で「Bad club gym」というのもありました。90年に。

43位 稲葉浩志は胸元くらいまである長髪時代があり、その姿でTVに出たことがある

ありますよ。Mステ。94年の年末かな? 超お疲れモード(9th bulesツアー中)で、司会の女子アナ(下平さんだったっけ?覚えてない…)に「お疲れですね」と云われてました。2曲歌ってくれて、うち1曲は「いつかのメリークリスマス」だったような。

45位 松本孝弘はデビュー前楽器屋でアルバイトをしていた

PVで見れますよ。


コメント

夜霧のネオンサイン
2013年6月11日21:14

特別思い入れはないものの(失礼)、軽い気持ちで読み始めて10位を過ぎたあたりで
「どこまで続くんだ?」とスクロールして…………

挫折しましたゴメンなさい。
愛が溢れて天竜川になってますよ~(笑)。

スミぱん@国会を見よう
2013年6月11日21:34

すみません、ウチも挫折しました。(^^;)

りょう
2013年6月11日22:00

ダメなファンなので、初めて知る話ばかり……。
楽しかったです♪

秋林 瑞佳
2013年6月11日22:01

思い入れある私ですら、ソース先を見て「どこまで続くんだ?」と挫折しそうになりました。

ちなみに私にとっては、「え?これがそうなの?」という感じで、「トリビア」レベルじゃなかったです。

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