https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180517-00012401-jprime-ent
(素晴らしい記事なので読んでください…)

ショックで仕事にならんかった…。


ホント大好きで。
5歳のとき、金沢市観光会館までコンサートを観に行ったくらい。
ままりん(母)が私のためにチケットを取ってくれた。
(今思えばよく取れたと思う)
2階の最前列で観たの。歌がとにかくものすっごく上手かった。
1階席のお姉様方はみんなペンライトを振っていたよ…。
強烈な思い出として今でもよく覚えてる。
車に乗って観光会館まで行ったこと、チケットが黄色だったこと、どう見てもファンが子連れで来た感があったのに、ままりんの態度が冷めていたので(笑)、となりの席のお姉さんに「もしかしてお嬢ちゃんが秀樹を好きなの?」と訊かれ、恥ずかしくて「ううん、私は野口五郎が好きなの」って答えたことも…(泣)。

手元にキディランドで買った秀樹のCD1枚ある。
17歳でこの歌唱力はハンパないです。
シャウトも最高。
徹子が「ダントツに歌がうまかった」って云ってたけど、マジすごいです。

基本ソウルフルでちょっとロック。
そしてワイルドなのに甘い。

で。

B’zのライブ…90年代前半にはコントコーナーがあって、カックラキンみたいな感じだったなあと。イナバ氏が秀樹のマネをして歌ったことがあったんだけど、めっちゃ似ててしかも上手くて(笑)。たしかにイナバ氏と共通項はあるなあと思ったり。このとき私は変わらない自分の好みを思い知らされたのでした。そーいえば、彼らもよく洋楽をコピーしてたよね(懐かしのZ’b)。

でもって、ジョージだよ。
秀樹はGeorgeの「ケアレスウィスパー」をカバーしたことがある。
(日本語の歌詞はともかく)これまた上手かった。
世界中のシンガーがカバーしたけど、彼が一番素晴らしかった。
ジョージに近かったし。
ジョージがWHAM!で来日したとき「日本語のタイトルにビックリしたけど(なんでジルバなの?って云ってた)、彼は素晴らしい」ってラジオで云ったのを覚えてる(車で移動中に聞いた)。

ジョージが48歳?くらいの「シンフォニカ」ツアーのロンドンライブ、そしてそのCDを聴いたとき、加齢のせいで高音があまり出せなくなっていてちょっとハスキー気味になっていたんだけども、その声がなんとなく秀樹みたいな声で。そしてまた変わらない自分の好み、その系譜を思い知らされたのでした。

もうショックだ…。
悲しい…。

急性心不全のため、5月16日に63歳でこの世を去った、歌手の西城秀樹さん。2003年と11年に脳梗塞を発症、右半身の麻痺が残る状態ではあったが、強い意志のもとリハビリトレーニングを続けながら最近までステージに立ち続けてきた。

 72年のデビューから、『激しい恋』『傷だらけのローラ』『ギャランドゥ』など数々のヒット曲を連発、郷ひろみ・野口五郎と“新御三家”と呼ばれる人気スターだった。

 その独特のシャウト唱法は、後のJ-ROCKアーティストたちにも影響を与えた。97年には、THE HIGH-LOWSやROLLY、ダイヤモンド☆ユカイなど、西郷秀樹さんに憧れて育った、有名ロックアーティストが参加したトリビュートアルバム『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS’ WANNA ROCK!』が発売された。ある音楽ライターは言う。

子どもたちからの人気も高かった
「アイドル的な人気の一方で、シャウトやロカビリー歌手が声を裏返して歌うような唱法など、海外のロックアーティストの唱法をうまく取り入れ、歌謡曲と洋楽ロックの世界の橋渡しになるような存在でした。

 79年の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』や84 年の『抱きしめてジルバ』など、洋楽カバーのヒット曲も多く、コンサートでも様々な洋楽ロックをカバーしていました。現在のヴィジュアル系バンドの唱法も、元をたどればヒデキと通ずる部分はあると思います」

 歌唱のテクニックだけにとどまらず、秀樹さんが一般的に広めた「文化」は多い。前出の音楽ライターは言う。

「スタンドマイクを使ったパフォーマンスも、日本ではおそらくヒデキが最初。ワンマンでの初の野球場コンサートもそうです。今では定番の、コンサートにペンライトを導入し定着させたのも、ヒデキです」

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』では、「ザ・ベストテン」で9週連続1位、この曲は番組最高得点にして、後にどの歌手も獲得できなかった「9999点」も記録している。

 人気ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)などでは俳優ととして、『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)や『8時だョ!全員集合』(TBS系)などではコントに挑戦、CMでは「ヒデキ、感激!!」のフレーズが印象深い「バーモントカレー」など、幅広くお茶の間の人気者だった。

「親しみ深さを持ったスターということで、当時の子どもたちの人気も高かったです」(同)

 そんな気さくな秀樹さんの一面について、ある雑誌編集者がこんなエピソードを語ってくれた。

「10年以上前ですから、一度目の脳梗塞から復帰された頃だと思います」

 東京・世田谷の子ども服店で編集者がショッピングをしていると、小さな子どもを連れた秀樹さんと奥さんに遭遇したという。

「ご家族と一緒に、楽しそうにお子さんの洋服を選んでいたのを覚えています。その様子から、お子さんやご家族への愛を感じました。

 西城さんのお子さんより少し大きかったウチの子を、『おいくつですか?』とテレビと同じ優しい声と表情で聞かれました。気さくでスターぶることの全くない方だなと感じたことを覚えています」(同・編集者)

 世代を超えて多くの人々に愛された西城秀樹の歌声を聞くことは、もうできない。

<取材・文/渋谷恭太郎>

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